消費社会に生きる
Amazonで買ったモノが、いくつも家に届いた。
大量消費社会に生きる私たちは、欲しいものは殆ど手に入るし、ちょっと頑張ればそれなりに高価なものも買うことができる。
きっと、それで心を満たしている。と思い込んでいる。
現代の人々は、選択するというハードルが下がり、選択するための思考がどんどん浅くなってきているように思う。
「欲しければ、買えばいい。」
私だってそうだ。
けれどよく考えてみる。
欲しいと感じたモノを、その直感にだけ従って直ぐに手に入れることは、果たして幸せと呼べるのだろうか?
Amazonから荷物が届けば届くほど、幸せかと言えば、そうではない気がする。
欲しい女が何人もいたとして、全部手に入ってしまったら面白いだろうか?
そこに残るのは空虚な心である。(知らんけど)
わたしが満たされたと思い込んでいる心は、ハートの表面だけが赤く塗られた、空洞なのかもしれない。
そう考えると幸せとは、自分との対話を繰り返し、余計なモノを削り、本当に欲しいもの・必要なものだけを選び取り、その結果生まれる小さな、けれど確かに核であるような、そんなものであるような気がした。
そして、そうやって人間の本当の幸せを追求していくと、世界のあらゆるものが循環し、そして人間に還ってくる、そういう在り方なのかもしれないな、と思ったりしている。
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