劣等感とたたかう
中高と、バスケットボール部に入っていた。
私はバスケが大好きで、朝から寝るまでバスケのことを考えた。
毎朝学校にシューティングしに行き、夜は高架下でドリブル、授業のノートは全く減らないのに、バスケノートはどんどん増えていく。
中学は強豪校だったけど、最後の大会で今まで一度も勝ったことがない相手に勝ったときの感触は、今でも熱く残っている。
高校生になっても、大学でも、大人になっても、ずっとバスケをやりたいと思っていた。
ただ、そこに才能は伴わなかった。
高校に入ってから、なぜかうまくいかない。
試合では大してシュートも入らない、ドリブルも特別上手くない、ただ居るだけの人。
スタメンにもなれず、最後には膝の靭帯断裂であっけなく引退。
あいつは警戒しなくていい。
何しに来たの?
そんな声が聞こえくるようだった。
バスケが好きなのに、バスケをやっているとつらい。
バスケが好きなのに、練習に行きたくない。
バスケが好きなのに、明日の試合が嫌で眠れない。
自分の才能の無さに、劣等感に、何度も死にたくなった。
劣等感が生まれてくると、人間はどんどん卑屈になっていく。
何であいつ、全然練習しないのに試合出てるんだよ。
大して上手く無いのに偉そうな口利くなよ。
そしてどんどんプライドだけが膨れ上がってくる。
私が試合に出れないのは、先生のせいだ。
私が試合に出れないのは、怪我のせいだ。
責任転嫁を繰り返した。全部人のせいにした。私はもっとできるのに、と。
今思えば、これは間違いなく自分の問題だ。
プライドが醸成されていくに伴って、自分に才能が無いことを認めたくないと頑なになった。
もし、素直に認めていたら。
死に物狂いで練習したかもしれない。
コーチに、自分に何が足りないのかを何度も何度も聞きに行ったかもしれない。
キャプテンのゲームメイクを深く理解しようとしたかもしれない。
自分のゲームをビデオで何度も何度も観て研究したかもしれない。
今でも、しばしば夢に出てくることがある。
死に物狂いで練習したその先に、輝かしくゲームをしている自分を。
何度もスリーポイントが綺麗に決まって、ゲームを制する瞬間を。
ずっと後悔している。
プライドなんて捨てて、できることを何でもやってみればよかった。
誰に何と言われようと、自分を信じてみればよかった。
自分の可能性に蓋をしていたことを、ずっと後悔している。
だからこそ、私は今もこれからも、目指すものに向かって、素の自分でぶちあたっていきたい。
いつか、この後悔ばかりが詰まった夢を、見なくなる日が来たらいいな。
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