幸せのハードルを下げる
「アフリカの人たちは、小さなことから幸せを見出し、笑顔が絶えない」
「貧しくても、日本人よりも幸せを感じている」
数ヶ月途上国を旅した人たちが、よく言う言葉である。
これは正しいとも言えるが、間違っているとも言える。
アフリカでは、幸せのハードルが異常に低い。
これは日本から見て、だ。
そもそも幸せの基準が先進国とは全く違うので、比較するのもおかしな話である。
小中高、ましてや大学を卒業なんて、多くの人にとって叶わない夢だ。
勉強する、学ぶ、発見する
アフリカの人たちがそういうことに貪欲で、幸せを感じるのは、達成できるハードルが非常に高いからだと思う。
だから日本人から見ると、狭い教室で目を輝かせながら勉強しているアフリカの子ども達を、小さなことに幸せを感じれている、と言うのだ。
何と無責任なことか。
それが本当に幸せかどうかは、彼らがきちんと教育を受けられて、選択肢がいくつもあって、好きなように選び取られる環境を持ってから、初めて判断することができる。
経済的に豊かな私たちが、口出しすることでは到底ないのである。
ただ、正しいこともある。
「小さなことから幸せを見つけようとしている」ことである。
つまり、基準がどうであろうと、「それ」に対して意図的(無意識の領域に達しているとは思うが。)に幸せと認識しているのである。
今ある環境の中で、幸せを見つけ出す力だ。
私たち日本人にとっては、「幸せのハードルを下げる」事だと思う。
この大切さを感じてからは、どんなことも自分の幸せに繋がっているのでは?という視点を持つようになり、あらゆるものに感謝するようになった。
電気が付くこと。
水が出ること。
食べる物があること。
友人がいること。
自分の本質を見ようとしてくれる人。
自分という存在を認識して、認めてくれる人。
私の言葉を聞いて、自分の言葉で返してくれる人。
何もかもが当たり前ではなく、無数のモノや人に支えられて私が成り立っている。
こんなに素晴らしいこと、他にあるだろうか。
万物が循環していること、あらゆることに有り難みを感じ生きていくことで、日々の捉え方ががらりと変わってくるのだ。
そういうことを考えていると、幸せの指標が相対的に測られる現代において、絶対的な指標に基づいた幸せを追求することは、これからの時代を生きる術でもあるのだろうな、と思ったりする。
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