量と質

完璧を求めすぎて、足踏みしてしまうことがよくある。

何かを始めようとするとき、自分のスタンスを再確認して、より良い手段を考えて、その後の未来を思い描く。

より良いものを、と考えるとき、その着地点をうまく設定できない。考え続けてきてもキリがないことは分かっているのに、思考を掘り下げすぎてしまう。
完璧でないことはやるべきじゃない、
一番良い選択肢を、と。

そんなことを考えていると、気づけば何ヶ月も経ってしまっている。

協力隊も、色々と考えているうちに7ヶ月が過ぎてしまった。
一体何をしただろうか。
何か始めてみただろうか。


私が尊敬する、元インターン先の社長はこう言う。
「量をこなさない人間に質は伴わない。」

量をこなして様々な知見、多角的な視点を得て、質は段々と上がっていく。自分の能力値を超える質を最初から求めていても、空回りするか的外れなことをするかのどちらかだ。

もちろん、自分の現在の能力値をフルに活かして実践することは大事だ。

現状それができていないのは、自分の能力値を正確に把握できてないことや、自分を過大評価している、そして完璧でないと許せないプライドのせいだ。

自分一人の能力なんてたかが知れてるし、人並み程度のことしかできないのであれば、せめて人並み程度のことを圧倒的な量でやるしかない。

そのためには、どこかで思考に区切りをつけて、実行するという繰り返しが必要だ。

その過程には失敗なんていくつもあるだろうし、失敗を許せないプライドをへし折らなければならない。

「自分の打率を認識しておく」
何かを実行したとき、どのくらいの確率で成功するかという大体のパーセンテージを認識しておくと、ある程度失敗を視野にいれて実行することができる。

もちろん失敗するから適当でいいや、とかではなく、失敗を怖がらずに挑戦できる、というプラスの思考を持つことが前提だ。

私はまだ自分の打率を認識できるほど挑戦したことがないし、そもそも失敗することは挑戦してこなかったのだが、世間一般的な打率は2割ほどらしい。

いや、2割もいけばいい方だと。
つまり、可視化されている成功は、いくつもの失敗の上に成り立っているのである。

ということを考えれば、失敗するほど成功は増えるはずだ。もしかすると、打率もどんどん上がってくるかもしれない。

最初から成功だけを求めて足踏みしているようじゃ、いつまで経っても何も生まれないし、成功も失敗もできない。

思考と実践を共存させて生きていきたいな、と思う今日この頃である。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?