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3月11日の今日、春のにおいがした。

春のにおいがした。

毎年、春を感じるタイミングが何度かある。

今年は2回。立春の2月4日と、今日3月11日。
ほんのり暖かい空気と、ちょうどよいそよ風、そして冬の寒さから解放されたかのように、踊るように舞う土の香り。

毎年訪れる四季の変わり目には、沢山の命の声がする。
草木や土、水、動物などのあらゆる生が生まれ、そして死にゆく循環を目の当たりにする。

春の始まりは、この世界の循環の出発点である。多くの生命が暖かさと共に地に宿り、始まろうとしている新しい日々に、生きる希望を抱く。


2011年3月11日。

この日も今日みたいに、春の始まりを感じさせる、暖かな日だったのだろうか。

生命の始まりに万物が期待を膨らませるこの日、多くの人間が死んだ。


東北で生きるという苦悩

私の生まれ故郷は、宮城県仙台市。

杜の都と呼ばれるその都市は、都会的な発展を遂げながらも穏やかな森林に囲まれ、海風が肌をなでる心地よい場所だ。

私は3歳ごろまで宮城で暮らし、その後さまざまな場所に住まいを移しながらも、中学1年生の秋にまた宮城へ戻った。

変わらぬ宮城県という土地に、自らの生まれ故郷だという感触を感じる一方で、変わってしまったことが一つだけあった。


仙台市は、宮城県の中でも内陸部に位置しているので、最も甚大な被害をもたらした津波は到達しなかった。

それでも、大きな揺れと停電が襲い、ほとんどの住人が非難を余儀なくされた。

私が宮城県に戻ってきたのは、2011年の秋。
震災からおよそ半年が経った頃だった。

どうしてこの時期に父の仙台への転勤が決まったのかは、よく知らない。
それでも、自分は生まれ故郷のことを知り、理解する義務があるのかもしれないと、中学生ながら感じた覚えがある。


宮城に戻ってから、様々な現実を見た。

幼馴染の家は半壊した。同級生の中には、福島の避難区域から逃れるように仙台に越してきた子も多くいた。
部活の試合会場は、かつて遺体安置所だった。

部活の練習試合では、よく気仙沼に行った。
通り道、海沿いの町を通る。当時瓦礫は全く片付けられておらず、何もかも崩れ水平線が見渡せる状態だった。社会の教科書で見たことのある、戦後の写真にそっくりだった。当時まだ13歳だったわたしには、あまりにショックな光景だった。
かつてビルだったであろう建物の上層階には、車が突き刺さったままだった。

強豪バスケ部だったので遠征も多く、東北中をあちこち巡ることも多かった。
福島のとある町、「立ち入り禁止」の看板をよく見かけた。放射線が漏れ出し、住めなくなってしまった町。
普通の町なのに、信号が止まっている。お店が沢山並んでいるのに、人が一人もいない。恐ろしかった。
岩手も青森も、海沿いには何も残っていなかった。
海沿いの道路をいくら走っても景色が全く変わらない奇妙さに、不安を覚えた。

当時、何度も余震が襲った。
3月11日の地震は「余震」ではないか。「本震」は別にあるかもしれない。
色んな憶測があったから、きっと瓦礫の片付けも進まなかったんだろう。


私は、3月11日のあの日を経験していない。

経験しなくてよかった。無事でよかった。
もちろんそう思うけれど、自分の故郷を理解できない背徳感と、震災によって生まれた強さと絆を持つことができない苦しみも、同時に持ってしまっている。

この日が残した残影を手に取り、想像を巡らすことは何度もあった。
余震を何度も経験し、怯えた夜を過ごすこともあった。

けれど、この震災が生み出した本当の苦しみを知らない。
生まれ故郷が負った傷の、本当の部分を理解することができない。

わたしの心に渦巻くその感情は、きっといつまでも消えることはないのだろう。


自然と人間

自然とは、なんて無慈悲で恐ろしいものなのだろうか。

人間は食物連鎖の頂点として、多くのものをコントロールしてきた。そのことがわたしたちに、自然のあまりに大きな力を錯覚させていたのだろう。
わたしたちは自然さえも征服したと思い込んでいるが、それは大きすぎる間違いだ。

人間は自然を征服していないし、間違いなくこれからもするべきでない。
万物の循環は自然が生み出しているものであり、自然がいかようにもすることができる。

自然に敬意を持ち、わたしたちは生かされている存在であるということを理解し、共存していくための道を探していく必要があると思う。


東日本大震災を経て、多くの人が自然と共生するための新しい生き方を実行した。
地方移住もその一つである。思えば震災も、近年世界をにぎわすコロナウイルスも、それによって人間は自然界における「あるべき姿」に向かっている気がする。人間はやはり自然にコントロールされているし、そういう状態が、人間にとっても自然にとっても、万物にとって心地よい姿なのだろう。


かの地を理解するということは、この地球という球体の構造と循環を、本当の意味で理解することで達成し得るのかもしれない。

わたしにはまだ答えはないけれど、いま考えていること、頑張っていることが、いずれ答えを導いてくれるのだろうか。
きっと無駄にはならないと思いながら、あの日に想いを巡らせ、さあ頑張ろうと、明日もまた姿の見えない何かに勇気づけられるのかもしれない。


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