明けることを、受容できない。

新年明けましてを控えて、各種SNSが活発になっていく。

1年間を丁寧にふりかえる人。
お世話になった人に感謝を伝える人。
2021年に綺麗さっぱりお別れをする人。
2022年に期待を抱く人。

思い思いに発信する人であふれるSNS上に、私はなぜか辛さを感じていた。

タイムマシーンが発明されない限りもう一生やってこない2021年に、なぜきっぱりと別れを告げることができるのか。
2022年という未知の世界に、期待を持って進み出すことができるのか。

つらい
怖い
明けたくない

ようやく見えてきたもの、
積み重ねてきたもの。
それらが急に見えなくなって、真っ白になってしまうような、そんな感覚がする。


時間はとても概念的なものだという話をしたことがある。

私たちは日々の出来事やそれ同士の繋がり及び関係性(比喩的には流れと呼ぶもの)を認識・把握するために、時間という概念をつくった。

秒・分・時・日・月・年という刻みをつくったのは便宜上納得ができるが、年が更新された時だけ特別に迎えるのはなぜなのだろうか。

年を越すという出来事と新年を迎えるという行為は、その一連の繋がりに一区切り付けて、整理するためのものではないかと思う。

しかし私は、本当は点に過ぎない時間という概念に、区切りを付けられない。整理することができない。

当たり前に、2021年という年を更新できない。

過ぎていく過去にしがみついていたい。

そうしないと、自分が死んでしまう気がする。まっさらな自分を受け入れて、挑むことなんてできない。

そう感じた、なんでもない1月1日でした。

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