見出し画像

Turning Point レインボウ21

サントリーホールが各音楽大学の成績優秀者のデビューコンサートとして始まった企画
1999年の企画から、
アートマネジメントの育成もかねて企画にも学生が加わるようになった。

各大学が選抜した学生グループが考えた企画に
サントリーホールで実際にコンサートを企画している担当者が1名ついて
企画のアドバイスや準備・本番を一緒にやってくれるというもの。

大学の師匠の勧めもあって、大学代表の一人として参加することになった。

1、2年目

学生が企画と言っても、そこは大学の名前を背負った公演なので、
中途半端なものは提供できない。
1、2年目は学校の教授が企画した公演の準備をするのが役割だった。

デザイナーとチラシの打ち合わせ
サントリーホールと広報の打ち合わせなどをしながら、
ステージマネージャーと打ち合わせもした。

ステージマネージャーの上原さんには
本当に多くのことを教えていただいた。
演奏家が演奏しやすい環境を整える
一言で言えばそれまでだけど、
きめ細やかかな準備、声の掛け方....
プロフェッショナルとはこの人のことだと初めて感じた瞬間だった。

2年目には、学校同士の繋がりが少なかったので、
提案してメーリングリストを作るなど
それなりの活動をしていた。

アルバイト

この企画がきっかけで、当時1年目の企画を担当したメンバーの中から3人が
サントリーホールの別の企画でアルバイトをさせてもらうことになった。
このレインボウがきっかけで、
結構多くの企画に携わらせていただいた。

3年目の武満徹

3年目の企画に参加する時に、
大学に自分で企画をしたいと直談判した。

なら、コンペにしようということになり、
おそらく初めての企画書を書いた。

武満徹没後5周年
明日ハ晴レカナ、曇リカナ

日本人として、日本の作曲家を語れないとプロデューサーとして存在意味がない。
と勝手に思っていた当時、
食い漁るように、武満徹の曲を聴きまくり、
資料を集めていた。
(プロデューサーってw)

学生からの企画はもちろん他にはなく、
教授の企画とコンペになり、
見事なのか、かろうじてなのか。
もともと教授は譲る気だったのか、
自分の企画が選ばれた。

武満徹の没後5年に合わせて、
単なるオール武満の曲ではなく、
彼が影響を受けた作曲家のエピソードを基に、
その影響を受けた曲と武満の曲を並べて演奏し、
武満徹の内面に迫ろうとした。

20代前半の若僧の企画にしてはシブいw

演奏者の決定。
楽譜の手配。
練習の立ち会い。
なんでもこなしたけど、1番拘ったのが、広報・宣伝。

今回の企画にはどうしても使いたい写真があった。
↑の手を組んで遠くを見ている写真。
周りからは権利もあるから無理では?と言われたのですが、
レコード会社に聞き、遺族に連絡を取り、
権利が海外の写真家にあることがわかった。

写真家に拙い英語で趣旨を手紙にまとめ、
送ると、なんとOKが出た。
しかも使って良い写真を送ってきてくれた。
そして、デザイナーにほぼわがままを言って下のポスターができた。

公演当日は、ステージマネージャーとして裏方に徹したが、
本当に自分がゼロから企画した公演が
多くの人の力を借りて実現した瞬間だった。

演奏者に向けた拍手がこんなにも心地良い物だと感じたのも初めてだったかもしれない。

自分は将来こんな仕事をするんだと
改めて誓った日でもあった。


#アートマネジメント #サントリーホール #レインボウ21 #武満徹 #明日ハ晴レカナ雲リカナ  



よろしければ、ぜひサポートを!! サポートは執筆の活力!! より良い記事作成に役立てます!!