見出し画像

鬼平に呼ばれ...

東京都中央区佃に行く。

2024年6月某日、チョッキのポケットに携帯、財布、鍵もろもろを詰め、スイカを首にぶら下げ(果物のスイカじゃなく、カードの方ね)、リュック背負って、えっさほいさ、えっさほいさと、東京郊外から電車で街(都心)へと下ってゆき。。。

これまでウォーターフロントと呼ばれるところなど訪れる機会もなかったのだが、最近せっせと山から降りてくるようになった。久々の「お上りさん発作」を起こしたせい。

18世紀末、中央区佃には石川島人足寄場と呼ばれる寄場(罪人の収監施設)があり、それは東京都府中市にある府中刑務所の原型とも言われる。またこの施設を幕府に進言し造ったのは、長谷川平蔵だったという。

長谷川平蔵が主役の鬼平犯科帳は、多くの人と同じように図書館で本を借りては読み、ドラマは見逃さない優良ファンだった。今回は、鬼平のモデルになった長谷川平蔵宣以(のぶため)が実在の人物であり、火付盗賊改方長官(かしら)としての役職を全うしながら、犯罪者の社会復帰のためのリハビリ施設、石川島人足寄場を始めたということに驚いたのだった。1790年頃の話だ。

そこで、寄場のあったとされる中央区佃を見にきたということなのだった。。。

東京メトロ月島駅を地上に上がる。
もともと中洲であるこの土地には、埋め立てが施工され、リバーシティ21をはじめとする高層建築物が並んでいる、くらいは知ってはいたけれど。いや、すごいな。


佃1丁目2丁目あたりを歩いてみるものの、江戸情緒を求めるほうが無理。ほーら、行きましたぜ的な写真をとり、レスキュー隊らしい大型モーターボートが東京湾に出て行く様をとらせてもらったりした。船尾に小型の日の丸がはためいていた。


寄場があったとされるところは公園になっており、灯台が造られ、パリ広場と名前がつけられた広場があった。
ここらで、昔、人足たちが、荷揚げや積み込作業を行ったり、煮炊きをしたり、けんかもいじめもあったろうと想像をたくましくしてみたものの、まったくもってうまくいかない。見上げると堅固な高層マンションが立ち並び、ここは最新の土木建築技術によって建造された島なのだなと思った。

遠く川向こうのヤマタネの社屋や空や川面の美しさにひかれ、川に近寄った。階段を下りてゆけば、川岸は整備された広い散歩道になっていて、ジョギングや散歩を楽しむことができ、じきに海だという解放感もある。こじんまりきれいに作られたパリ広場と見事なコンクリートの護岸である。

けれど、わしは川への階段は下りなかった。

打ち寄せる波の音が聞こえた。ここら一帯はすでに海への玄関口であり、満潮のときは海水が淡水を押し上げるだろう。コンクリートの岸を、河口の波がぴしゃっぴしゃっと強く打っていた。

230年まえ、人足たちの聞いていた波の音と、わしが今聞く波の音は一緒なんであろう。
わしはここに引き寄せられたのだという気がした。寄場を発足させた鬼平に。収容され、技術を学び、勉強し貯金し、祝日にはそれなりの食べ物をふるまわれ、社会復帰を果たした人間、果たせなかった人間たちに。

帰るとき、また来るぜ、とつぶやいた。
護岸を打っていた波の音がお土産である。

内海とは言え、わしは海のそばで育ったはず。ここらで海の子にもどらにゃいかんと、殊勝な決心をしつつ地下鉄駅へと降りていった。
陽は高い。


石川島人足寄場付近の案内板





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?