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日本百名山の一つ花の山伊吹山を考えるシンポジウムに参加して

日本百名山は文筆家で登山家の深田久弥氏が定めた山々です。その基準は「品格・歴史・個性」で原則として標高1500メートル以上の山だとあります。伊吹山は標高1377メートルで標高を満たしていませんが高さでいえば98番目に名を連ねています。ちなみに99番目開聞岳(924m 鹿児島県)、100番目筑波山(877m 茨木県)です。

伊吹山は滋賀県と岐阜県に跨っています。品格を見場だとすれば滋賀県側からの佇まいを見ていただきたいと思います。歴史に関していえば、日本武尊の伊吹の荒ぶる神成敗の神話まで遡るし、伝 信長の薬草園の話や、世界一の積雪量を記録した文献も残ります。個性については山頂からの展望で深田氏にとっての決定打は白山(2702m 石川県・岐阜県)が見えたことによるらしいのです。

6月最後の雨の日曜日、伊吹薬草の里文化センター設立30周年記念シンポジウムに聴衆として参加してきました。

そのシンポジウムの壇乗者の一人、山と渓谷社の萩原浩司氏の百名山伊吹山の基準は少し違っています。夏の百花繚乱花の山であること、草原の登山道があること、そしてやはり四方を見渡す展望の三つです。草原はヨーロッパのアルプスのようと例えられていました。私が伊吹山を推す最大の理由はやっぱり草花の宝庫にあるので、なぜ深田氏の3基準に入らなかったのか考えるところだけれど、登られた時期が4月の未だ咲かぬ花たちを見ることが叶わなかったからだという萩原氏談でした。

「伊吹山と草花~美しい伊吹山を一緒に取り戻そう~」がテーマでした。
鹿による食害で植物が危機に瀕しています。山肌の緑は薄くなっています。ひいては地盤の軟弱化、昨今の天候の変化による土石流が山肌を砕いてしまうのです。
米原市の動画を置きます。

この姉妹の抱く伊吹山への思いを、お姉ちゃんのしっかりした話し方と、妹ちゃんの可愛らしい声で語ります。
「動物園のようなニオイがしました」というぬ言葉の選び方にはもう抱きしめたくなってしまいました。

また、滋賀県立大の原田教授の「イブキノエンドウは伊吹山の在来種だった」という研究の成果を拝聴したのですが、素晴らしい研究への拍手は惜しみなくも、信長の薬草園に浪漫を感じている自分としては、幻と遠のいてしまう伝の説が少し悲しくもありました。

伊吹山にはかつて牧野富太郎博士も8回訪れているそうです。初めては明治14年19歳の時、東京帰りの立ち寄りだと言います。NHKの朝ドラで立ち寄り立ち寄りで帰ってこない”まんちゃん”を思い浮かべました。

この美しい花風景は10年位前の写真だといいいます。40年前に、30年前に、10年前、5年前、そして先月見た伊吹山の花景色や展望、全て記憶の色が違います。伊吹山とはそういう山です。

土砂で塞がれてしまった登山道、現在麓から登ることはできません。伊吹山を守るために一般民が出来ることは何かと聞かれ、米原市長はドライブウェイを使って伊吹山を訪れてもらうことだとパネルディスカッションを締めました。夏休みの伊吹山は混雑はします。それでも下界との温度差の涼と美しい草花に癒されることは間違いありません。
天候には左右されてしまいすがぜひお訪ねください。

ミヤマコアザミ(たぶん)

(ひとり言)
折しも今日伊吹山斜面で土石流が発生しているようです。また登山道の辺りなのでしょうか。登山道と緑の再生がまた遠のきます。
伊吹山は石灰岩の山です。その需要のために削られた山でもあります。それでも現在は薄っすらと緑色に変わっていたりして形は戻らなくてもずっとずっと先には緑で覆われる日が来るのではないかと思います。
温暖化の影響を受けた強い雨粒は容赦なく弱った山肌を壊しにかかります。
植物が地に根を張るという自然の防壁はどんな奇跡なのかと思います。
食害の鹿が増えたのも麓にしか住めなかった彼らが気温の上昇に伴って住居を上へ上へと移して行けたことによるのだそうです。人間が作ってしまった地球規模の環境のせいだと言えるのだと改めて思いました。普段わかっているよと言いながら実はわかってないなって自戒を込めて書きました。

ヤマトタケルノミコト
山頂に立つ
神話の時代の伊吹山は
どんな佇まいをしていたのだろう









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