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やっぱり出かけて来てしまった

するかしないか
するを選べと人は言う
しないは卑怯と人は言う
しないを選んで逃げてみた
やっぱりこころは重いまま

言うか言わないか
言うなと人が言う
言えば角が立つと人が言う
言わないと角張ったままの
私のこころが
痛いと言う

見るか見ないか
見るだけ見ればと人が言う
見ないと何も見えてこないし
見て見ぬふりしてたら
ズルいと悲しむ
私がいて
いろんなことを見渡してみたら
無性に腹が立ってきた

するんだ私
書きに行け
言いに行け

行くか行かないか
行ける内に行けと今の私が言うので
チケットが取れたら行けと言うことだと
都合の良い理由をつけたら結果が行くになった。

RE₋PRAY宮城公演に行く。

行く前に少しだけ書いておこうと思った。
というか、少しづつたまってしまっただけなのだけれど。

悲喜こもごもの出来事が多過ぎて、日々置いて行かれている。

いいねはしたけれどどうしていいかわからなかった。

いくらでも声を上げたい。見出しで大体何を書いているかは分かる。でも正確に文字に残すためには、不本意ながら読みに行かなければ書けない。
1クリックがなんぼの利益を相手に与えることになるのか。最近はずっとスルーを通してきた。だからどうしていいかわからなかった。言いたいことはいっぱいあった。

羽生結弦のファンを運命を共にするもの。共同体と呼ぶことにする。

羽生さんを正しく伝えるために何ができるか、共同体の私たちは羽生結弦を支持している。守りたいと思っている。でも言葉の出し様は其々の考えがある。その人にとってはどれも正解。
ええかっこしいの私は、共同体からは反感を買いたくないと思う、意気地なしだ。

ちょっと大谷選手に話題がとって変わられた感はあるが、やはり日本は平和なのだと思う。
その大谷選手とも比べられていたのに鳴りを潜めている。
寄付金額とか、時代錯誤も甚だしく妻の選び方だとか、なんか絵本も似通ったタイミングだった。

国民栄誉賞を受賞したときもいろいろ言われたよな。受けた羽生結弦の覚悟をのまま、誓った言葉そのままに彼は生きている。自分の名誉のためではなかった。全ては東北のために、自分が関わって行くための力となるものは貪欲に受けたし、取ってきた。五輪二連覇のように、努力を積み重ねて結果を力に変えてきた。そうやってゴールが無い道を生きている。それが羽生結弦だ。
誰と比べようもないのだ。
羽生結弦は100パーセント以上の力を出し切りながら、先にも目をむけているし、野球のような契約金やゴルフのような賞金も無いスポーツで、自分で開拓し続けて稼いでいる。それでも羽生の名を冠にするアイスリンクを造営維持することの難しさを彼は知っている。

東京に近付いている。昨夜は眠れなかった。遠足前の子どもだ。

下書きで以下写真をお借りしていたら、note内に同じ写真を見つけて、同じ時間に同じものを見ている人がいるのだなと、うれしいような、くやしいような気持ちになっている自分に苦笑いしている。

他スケーターのファンならただそれだけでいい。ひたすら推しを愛し応援するだけでいい。
一緒に滑れることに泣いた人だ。
はち切れる笑顔で喜んだ人だ。
二人を見守れるファンでありたい。

焚きつけるような低記事に乗せられることなく、凛とした佇まいで動じない我ら共同体でありたい。
例えば、高橋ファンも、浅田ファンも(後輩名はなんとなく憚られるのはどうしてだろ)其々の共同体で、凛としてあればよい。

車窓の満開の桜が流れていく風景を眺めている。この季節に旅ができる私は幸せだ。

上記2枚ありがたく
お借りいたします
初めての東北新幹線
やまびこ

ちょっとした驚き。新幹線が頭突き合わせてる光景が新鮮過ぎる。
共同体の皆様を、座席前にも後ろにもお見かけしながら、仙台までの車窓は私には未知。さあ行こう。

ナスタチウム

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