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五千円の文化生活

コラム『あまのじゃく』1955/1/12 発行 
文化新聞  No. 1684


中古の洗濯機に”家中大騒ぎ”

    主幹 吉 田 金 八 

 オートバイ、自動車をはじめ、電気洗濯機、テレビと電気冷蔵庫の普及はアメリカの日本統治政策の置き土産というかシンボルというか、現在の日本の文化水準を代表するものであろう。
 自動車に使用するガソリンは英米の大資本に首根っこを握られており、ガソリン屋に払う金の何割かは外国資本のカスリとして持っていかれ、電気器具の使用によって支払う電気料も電源開発を外資に頼っている以上、当然利子配当として外国に搾取される事は判っている。
 テレビ、電気機械のネットの中には5%から10%ものパテント代、技術指導料が外国のメーカーに天引きされる。
 戦争の賠償金として正面から取り立てないで、どうでもそこから買わなければならぬような仕組みをしつらえて、娯楽や実利を餌にして、上手に巻き上げるのが米国の巧妙な賠償を取り立て政策である。
 スキーに行って驚いたことには、雪国の農村には酒屋に酒がないという事である。
 置いても売れないのである。
 売れないのは農山村民が酒を飲まないのか、といえばさにあらず、寒い国の人は余計に酒を飲まずには冬は凌げないので、冬中酒浸りであろうという事は想像に難くない。
 俗に越後は酒造りの国とさえ言われており、米は良し、水はよし、近在の作り酒屋がほとんど越後の出であることから押して知るべしである。
 つまり、土地のものは市販の酒を飲まずにドブロクを満喫している訳である。二級酒が一升500円、一級酒が八百余円ドブロクなら一升100円はかからない。
 酒は大部分が税金である。酒とタバコで税金を知らず知らず払っている外に、自動車に乗り石油コンロを使い電気器具で文化生活を楽しんでいながら、外国への賠償金を払っているのだから、容易ではない訳である。
 難しく窮屈に考えればそんな訳だが、そうした事を頭において出来るだけ文化の利器を生活に取り入れて能率的な仕事をしたいものである。
 私のところでは、女中は一人も置かず、女房が高校3年を頭に5人の子供を含めて、九人の家族の煮炊き、洗濯、衣類の世話一切を60歳余の母が手伝うとはいえ、差し支えなくやっている。
 それだけで大体女一人の持ち分としては手一杯のところに持って来て、新聞社の印刷工、解版の主任として男子一人前以上の働き、加えて金庫番までやっているのだから、記者は小言幸兵衛の様に、他人に言えない小言を真っ向からぶちまけておりながらも、心中ではよくやって呉れると思っている。
 その女房に、さらに印刷の方に目を配らせるためにも勤めて家族の雑事を能率化させ、家事労働の時間を短縮させたい意味から、電気洗濯機を買ってやりたいと心掛けていた。
 しかし、電気洗濯機といっても手で揉むところを、機械で揉むか水流で捏ね回すだけのもので、いわば芋の皮を剥くのに水車を利用してゴロンゴロンやるのと大差はなく、そんなものに2万円以上の大金を投じる気にもならず、月賦は大嫌い、買える時に現金で安く、という処世法を堅持している建前から、格好の売り物の出るのを待っていた。
 某家で2万何千円とかでアメリカ製のを買ったが、小型過ぎてその家としては役に立たず、不要品として買い手を求めているという話を耳にしたので、女房が電話で問い合わせた。
 売り手の方も売りたい値段に自信がないらしく『1万円位でいかがでしょう』との話。 
 普通市販の品のことしか頭にないので、
『1万円なら手頃だろう』ということで記者が見に行った。
 そこの奥さんに土蔵に案内されて示されたのは、ご飯蒸しに例えては少し大げさかも知れないが、直径1尺5寸、深さ1尺2,3寸のニュームのバケツに、白いホーローの鉄カブトを被った様な、電気屋の店にある国産の洗濯機に比べて、あんまりにも簡単で小ぶりなのに意外な感じがした。
 『こんなオモチャの様では仕方がない』本当にそう思ったので、いささか食欲を失いかけたが、機械物のセコハン好きの病気が止まず、『 でも、三千円位なら役に立たなくても良いから買ってみよう』と値を切り出してみた。
 『三千円? それはヒドイ。本当に二万五千円で買ったので、嘘だと思うなら小切手帳を見せても良い』と 三千円の記者の値には先方もガッカリらしかった。
 結局、こっちの言い分は四千円、先方が五千円と歩み寄って、最後は使ってみて五千円で買おうという事になり、家へ電話して『洗濯機が買えたから子供に自転車で取りに行け』と言ったら、女房は、まさか自転車の尻につく電気洗濯機があるとは思わないから、幾度も念をして半信半疑で受け取りに行った。記者が会社に帰ってみたら、家中で機械をいじくり回していた。
 外見はバカバカしいほど小さいが、製造はシカゴ・エレクトリック・カンパニー。タイムストップもあり、国産のはモーターが水槽の下にあるので、水が浸透しないようドライブシャフトのパッキンなど、おそらく余計な工作がしてあるものと思うが、これは蓋の部分にモーターがあるので全然そんな工夫は要らず、モーターで3枚の羽根を揺り動かす原理は変わらない。水槽と原動機室というべき蓋が分離できるので、洗い終わったら水槽だけを持ち運んでバケツ代わりに水洗もできるし、排水もゴムホースもいらず、絞り機などというハイカラな小細工はないが、簡にして要を得ていると言うべき代物である。
 『国産の初期のものにはタイムスイッチが無かったんだから、これはそんなに時代物ではない』というのは高校生の見立てである。
 毛物は五分、絹、レーヨンは7分、木綿、麻は12分、水面はこの辺、と横文字で書いてあるのも、子どもたちが解読して使用法も会得できた。容積が小さいとはいえ、国産のお体裁に縁が厚くできていたり、足があったりして大きく見えるだけで、実際の容量は大して変わらないかもしれない。この器械を買って、寒中だというのに子供たちまで面白がって洗濯物を放り込んでいじくり回しており、女房も『五千円は仕方がないでしょう』と相当満足しているらしい。
 現にこの原稿を書いている椅子の背後で、軍の廃棄品のジェット戦闘機とも言うべき、我が家の新鋭機はゴットンゴットンとリズムを奏でている。
 この原稿は自分の女房を対照に、日本の女性はいかにも機械とか電気に対する初歩の知識もなく、また習得しようという熱意がなく、せっかくの機械も十分に駆使し得なかったり、機能を第一義理的に考えず、外観のコケ脅かしにごまかされて莫大な浪費をして、余分な金を捨てていることを強調して見たいと思ったのだが、そこまで行かずに冗長になってしまったことを言い添える。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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