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《オートバイ》西日本一周の旅(2)

コラム『あまのじゃく』1953/5/11 発行 
文化新聞  No. 706


霧雨にけぶる碓氷路へ(第1日目)

   主幹 吉 田 金 八

 1953年5月7日、今日は是が非でも出発しなければならない。早朝から起き出して車に積むべき旅行中の必要品の荷造りにかかる。
 着るものは最小限、上下の下着類の着替えを1揃えだけ持つことにしたが、女房は平常和服と中途半端な洋服だから、いざとなるとこうした旅行には間に合わない物だらけ。
 記者は普段着もよそ行きもないので、平常のままに晴雨兼用のダブダブの外被を着用。
 食料はとりあえず米を2升ばかりに、調味料若干、水汲みバケツ兼用のアルマイト製の給食バケツに、旧日本軍の飯盒5個、折りたたみのフライパン、水筒一個といった程度。住の部は大型天幕1枚に小型の横布数枚、支柱、クイ張綱、小型シャベル等と設営用具、折りたたみ寝台、毛布4枚、大型羽布団1枚、夜店で使うカーバイト器具、自動車修理用具を最小限といったところである。
 これだけを側車付きオートバイの寄りかかりの背部と舟の後に新規に作りつけた荷台にくくりつけた。
 出発準備を完了して、女房の支度のできるまで読者への出発のご挨拶を書いているうちに、雨がポツポツやってきた。
 十時近くなった。大した降りでもないが、良いお天気にはなりそうもない空模様である。しかしすでに会社の人たちにも、近所の方々にもお別れの挨拶が済んでいるので、今更中止と言うわけにもいかない。それに新聞のほうも記者がいなくても良い体制になっているので、一日伸ばしてみたところで、少しも社の足しにもならない。出発の日が雨とはあまり幸先が良いとは言えないが、どうせ長期の旅とあってみれば、雨の日も風の日もあろうものよと、「そんなわけで一応出発してぐるりと回って東銀座の『島村旅館』にでも泊まられてどうです」と言う市川自動車工場主の冷やかしに、苦笑いしながら「儘よ、行けるとこまで」と言うことになり、決心を決めて10時きっかりに飯能を出発する。
 予定コースは生越、小川、寄居といった八高線伝いの計画が、平沢の十字路で生越道が交通止めの標識が出ていたので、坂戸、松山の順路を取る。記者は雨位には慣れたものだが、側車のフロントに暴風ガラスがないので、女房は記者が貸した鳥打帽をかぶって、これまた防水マントの頭巾をかぶった文子を抱いて目の高さまでシートをかぶって雨を避ける始末。
 普通では気にするほどでもない小雨も速力で倍加する雨滴はかなり邪魔なものである。
 松山について、別に急ぐこともないので新聞の広告で記憶にある箭弓稲荷のボタン園を見ようとここに廻り込む。
 記者が鳥居下で車のブレーキを調整していると、傍に西武の遊覧バスがあって、顔見知りの松本運転手君が車内を掃除している。
 「どこの団体ですか」と聞けば「飯能の料理屋さんの団体です。何でも踊りの競演会だそうです」と言う。境内の公会堂には「埼玉県接客業大会」とか言った看板が出ていて、美しく着飾った芸者や料理屋の主人らしいのでいっぱい。
 公会堂の玄関に”おかるさん”と”葉山の女将“の姿を見かけたが、異様な風体なので声をかけるのを遠慮する。
 地元松山の芸者ででもあろう、揃いの花見前掛けの華やかなのが社務所にはいっぱいである。
 神楽殿を舞台に、その前面には、いっぱいビール箱の座席が設けられてあったが、この雨では野外ではできないのではないか。
 境内を来た女房は武田喫茶の弟さんに会ってきたと言う。
 小憩して出発、熊谷、本庄、深谷を経て新町付近で中食、高崎に入る。
 雨は次第に本降りになって10号線国道も飛び石のようにポツンポツンと建設省の完全舗装の工事をやっているものの、それもホンの緒に着いたばかりで、大部分は砂利道で、しかもクッションの悪い旧式車には1番苦手の洗濯板状の小波風のデコボコ道で、おまけに自動車の往来が激しいので要所要所は表面がトロロのように泥濘になっており、松井田を過ぎれば碓氷道で次第に上りとなるのに、スリップするのではと心もとない。
 碓氷トンネルにかかるために、信越線の列車が電気機関車に変わる横川駅に着いたのは、ちょうど4時、あたりの山々は霧に閉ざされて、雨のためにすでに夕景色である。
 雨と夕刻の危険を避けるために碓氷町で一泊することになり、一軒しかない宿を訪ねて投宿、女房が炭火で濡れた衣類を乾かしている間にこの第一報を書き終わった。
(タンク容量は18リッター。満タンで出発、松井田で6リッター補給)


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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