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農相自縄自縛の図

コラム『あまのじゃく』1958/7/5 発行
文化新聞  No. 2957


『出来合い米価統制』の行き違い?

    主幹 吉 田 金 八

 数日前のこと 買上げ米価決定の問題で農林大臣が農民代表に数時間軟禁されたと都内各紙は報じている。
 軟禁にせよ、硬禁にせよ、例えば相手が誰であろうと故なくして、他人の自由を拘束することは由々しき問題である。
 新聞の写真を見ても、白鉢巻きの農民代表、中には菅笠のようなものを手に持った者もいる人たちに包囲されて、農林大臣が悲壮な顔つきをしている図は、ちょっと気の毒であった。 
 これら農村代表が示威的な挙措を持って農相を数時間も取り囲んで、その自由を奪ったとして、何故警官を呼んで農相の人権を守らなかったかということも、私は密かに疑問を抱いている。
 一見不当な示威行為かと見られるこの軟禁に対して、大臣が自己の正当な自由を主張し得ない、言い換えれば、軟禁されても仕方がないような理由を代表側に与えたのではないかということである。
 おそらくそんな弱みがなかったらならば、要路の大臣とすれば、警官出動はお手のものだろうから、大臣が命じなくても側近者が気を引かして警官を呼んだあろうに、それが新聞に軟禁と報じられる事態にあって、仕方なしにこれに従い、重要な会議に臨むことすら出来なかったのではないかと想像される。
 然らば、農相が持つ農民に対する弱みとは何であろうか。
 戦争中、各種の統制が行われたが、戦後物資の出回りが潤沢になるに従って、漸次統制の網も解かれていった。
 それなのに今だに変則的ながらその形をとどめているのは米である。
 米の統制は戦争中は消費者の利益を守り、表面的のみだったが、社会の秩序保持にも役立った。
 戦後においては無用の長物と化して、徒に国民の邪魔者であり、ただ、農林省の高級役人を無駄なポストで養ったり、いくつかの汚職の根源になったり、どうしてあんな馬鹿げた法律を廃止しないのかと、多数国民の恨みを買うばかりで、何ら利益とするところはない、と先覚者はこれを攻撃した。
 しかし、一部の消費者階級は『統制を廃止すれば商人の買い占めなどで不当な高値なる恐れがある』と言い、一部の農民は『商人から不当な安値で買いたたかれる懸念がある』と統制の存続を願う声もないではなかった。
 政府にも廃止の結果に自信がなく、農林省はもちろん統制の権力を離したがらないから、ズルズルと統制は続けられ、自民党も社会党も農民と都会の労働者と双方の票を失いたくない侭に、この米の統制だけには気がよく合って、未だに農民から高く買って消費者に安く売るという二重価格の怪物を養い続けている訳である。
 もちろん農家の生産というものは天候次第で台風とか水不足とか、天然の現象で豊凶があり、豊作だから米が馬鹿安くなり、不作だからバカ高いとあっては、生産農家も消費市民も生計の目安が立たない、安いにも限度、高いにも限度が必要だが、さりとて今のように政府が米を丸抱えにして、売りも買いも一切政府を経由する、勢い莫大な食管会計の事務経費、保管不備の不良米、外米を腐らせたり、何でもないものを民間と結託して不良米として払い下げたり、この食管会計の赤字は年々莫大であり、さすがの政府も高く買って安く売る馬鹿げた商売に気がついたようである。
 社会党は、政府が当惑するのは『他人の腹痛は痛くない』とばかりに高く買って安く売れと責任のない侭に農民、消費者両方にご機嫌取りを働いているが、間違って社会党が天下を取った場合に、野党の当時の様な農民には高く買う、消費者には安く売るという公約通りが実行できるかどうかである。
 これら農相をつるし上げた農民は、『選挙の時に言ったことは嘘だったのか』と、公約を追求する権利があり、農相を5時間くらい軟禁する資格は十分あると信じていることであろうし、同大臣も自民党の大臣として公約をごまかすためには、数時間の針の座にも耐えればならぬ義理がある訳である。
 いずれせよ、米の統制を戦後十何年も温存しようとする東方のお目出度き国の、いとも目出度き風景であり、心がある人から見たらポンチ絵さながらの国である。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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