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静から動への一石

コラム『あまのじゃく』1956/9/6 発行 
文化新聞  No. 2379


町村合併あれこれ

     主幹 吉 田 金 八

 飯能市周辺の町村合併は一市四ヶ村がご破算になり、吾野村が名栗村に合併の申し入れを行ったのに、反射的に原市場も単独合併に踏み切ったため、思いがけぬ方向に発展しそうな形成を示すに至った。
 名栗村が2日の四ヶ村会談に『村民はあくまで最低の合併、しかも条件を最初に提示して、その条件を呑み合える相手と合併したがっている』という態度を発表したことは、多分に原市場の気を引いたものではないかと思われる。飯能と合併したくない、飯能を除いた四ヶ村も嫌だ。さりとて合併せずには収まらない事を観念した名栗村とすれば、最低最小限の合併相手とすれば、原市場か吾野の両隣村以外にはない。
 名栗村民の中に吾野村を云々する者があるが、これは原市場との合併が見込みがないから、吾野を選んだだけで、本心は心進まぬ合併だが、原市場程度の相手なら何とか一緒にやって行けようと考えたからに相違ない。
 ところが、この名栗の色気ある態度に原市場はいささかも心を動かさなかった。
 すでに下名栗あたりから運動の手が忍び込んで來ることを予測して、馬場村長は各区の集会で欠席者から委任状、出席者から飯能合併賛成の調印を取ってしまったので、村民の気持ちは変わる恐れがなかった。
 ところが、この名栗の色目を勘違いしたのが吾野である。
 吾野では2日の会合に浅見村長が病気で釆澤議長、他数名が出席したが、各村の態度を発表する時には『だいたい東吾野の村長の意見と同じだ』と言った。 
 東長野の小峰村長はその前に『東吾野は一市四ヶ村案は当初村民が納得している案で、まとまれば大多数の村民をその方向に調整する自信があると言っている』のだから、東吾野と同じだということは大合併に賛成だという事になる。
 ところが、名栗が旗色鮮明を打ち出し、今一番努力はするが次回の6日の4ヶ村会談には結果を持ってくることは覚束ないと言い出したので、吾野村も変な気を出してきた。
 『今日は村長がいないので、6日の会談に出席できるかどうか請け合えない』というのが釆澤議長の当日の言葉であった。
 そこで会談は名栗を除く三ヶ村、ただし、吾野は村内体制が一変して、出席の必要がなくなったら連絡して出席を断るということで参加した。
 吾野が出席の必要なくなるというのは一市四ヶ村合併に参加できない状態を指すので、この4村会談の幕切れの模様で名栗と吾野に変な空気が醸されていることが予想された。ただし、名栗が示した色目を吾野がどんな風にとったか、今度の吾野の出方が名栗の期待したものかどうかは大いに疑問である。勘ぐって名栗と吾野が何か示し合わせていたのではないかなどと考えることは、いささか当たらないのではないか。
 名栗とすれば最後に示した庁舎、人事などで話し合える相手があるならば、合併の話し合いをしたいと言ったのは、十分に原市場の気を引いてみたものと記者は解している。
 吾野が名栗に申し込んだということは、果たしてこの合併が可能か、住民が便利幸福かどうかは別として、釘付けになっていた足が前でも後ろでも動き出したという意味で結構なことである。そのおかげで原市場村の決心がついた。この交渉は即日にも具体的な問題に入って行くであろう。 
 それと同時に、両吾野、名栗もそわそわせざるを得ない。もう駆け引きをしていたのでは、切符を買えなくなるのではないかと心急いて來る。
 それから連日、今まで3年間放っておいた問題を、3年分を20日で決まりをつけることに懸命になるに決まっている。 
 何百貫ものローラーも、動かすまでに力はいるが、動き出しさえすればゴロゴロ訳なく動く。 東吾野も一日中に結論を出すだろうが、吾野が名栗に申し入れたことを東吾野村民はどういう印象するか。案外東吾野は飯能合併に傾くのではないかと観測される。そうなれば嫌でも名栗と吾野は結ばれる運命になる。
 当初の県試案は支離滅裂となり、県の委員会もあっけに取られるであろうが、これで一応はこの地方の合併もひと決まりがつくというものである。
 しかし、ある達観者は言う。『これで一市四ヶ村の合併もどうやら期限内にまとまる、吾野と名栗への動きはとても期限内にどうにもなりそうもなかったものを、期限内に解決させる一石だよ、合併などというものは条件を先に提示して、相手を決めるようなことで、まとまる訳のものではない。
 白紙無条件、何事もお互いに信用し合って行こうという縁談でなければ、一緒になってうまく行く筈はないではないか』と。
 そのうち名栗が折れ、吾野がキマリ悪い顔で一市四ヶ村の会談が再開されるのは15日頃だよ……と呵々大笑していた。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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