交通安全旬間

コラム『あまのじゃく』1951/5/27 発行 
文化新聞  No. 116


戸惑う新規則‥‥〈対面交通〉

    主幹 吉 田 金 八

 いくら法律を作っても行われない場合がある。
 戦中、戦後の統制規則のごとく、表面は整然としておりながら、その実、国民はそっぽを向いて少しも信奉せず、ヤミが当たり前の如く横行し、「まったく今日まで国民が健在なのはヤミのおかげだ」なんて言えるのは法律立案者に一考してもらいたい問題である。
 ただいま交通安全旬間と称して警察が一生懸命なのに、街を歩いてみて大衆が一向に右側通行を守っていないのには呆れてしまう。
 車馬のほうは昔通り左側通行でもあり、交通規則の遵法精神が高いからか問題はないが、通行人のほうは、歩道はもちろん歩道のない通路でも左側、右側混然としており、対人・対車馬避けあいの場合も、左右どちらにでも身をかわす始末に、高速車両の運転手は相手がどちらによけるのか非常に神経を使わざるを得ない始末である。
 記者は終戦後四国地方に行っていたが、四国はイギリス軍の管下にあったため、いち早く右側通行が実施され、日本中右側通行になったのかと思いきや、本土に来てみれば依然左側通行、米国は左側なのかと戸惑ったが、そのうち対面交通の実施を見て「ハハーン」とうなずいた次第。
 習慣の力は恐ろしいもので、長年教え込まれた左側通行の慣わしは身について離れないのも無理は無い。
 大体、この『人は右側、車馬は左側』の一道路二系統の交通規則は、外国のように中央に駐車できる大道路に於いて実効を発揮する規則で、日本の現状の車と車のすれ違いが精一杯の小道路では、よける以外は自然と人も車馬も道路の中心を歩く始末で、果たして対面交通が適当かどうか問題である。


コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。

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