宮中参賀と閲兵大学
コラム『あまのじゃく』1956/5/1 発行
文化新聞 No. 2147
微笑ましい天皇のお姿
主幹 吉 田 金 八
一昨日の日曜日は天皇誕生日と重なってお天気も久しぶりの快晴、気温はちょっと寒かったがゴールデンウィークの第一日として申し分ない日であった。
この日、参賀のため皇居を訪れた人波は約7万名と伝えられている。
例によってバルコニーから群衆に応えられる天皇の姿も極めて自然で、『天皇誕生日』を天長節と昔の呼び方に変えようとか、国家祝祭日に制定しようとか、そうさせることが封建社会への復帰第一歩とあって、厳しく批判しようとする人達との論争対立をよそに、本家の家長の誕生日を気易くお祝いする人情の流路として、微笑ましく受け取れた。
新潟県の弥彦神社の例祭に何万という人出があるのだから、八百万人の人口の東京で宮中や明治神宮に、5万、7万の人出は珍しいことではない。
この人達だって、何も天皇や昔の団体護持式の狂信者の者のみとは限らず、めった見たこともない宮中の模様をタダで覗けるという物見高さ、好奇心の人達が何割かいるであろうことも想像される。
同じ夕刊の紙面に、都下の某大学で学生を分列行進させて、壇上から旧軍の将軍そのままに閲兵している写真が出ているが、この方は天皇の笑顔の応答と対照的に、まず漫画ものである。
もっとも、学生の方でも馬鹿馬鹿しいと思ってか、千名の在校生中参加したのは3割弱の 270名だけだったとの事だが、あまりにも時代錯誤的な行き方に吹き出さずにはいられない。
学長は気負って『戦後のアメリカ式教育で日本の青年は全くフシダラになってしまった。学生に規律と元気をつけるためにやった』と語っているが、こんな下士官上がりの特務曹長然としたことを言ってのけ、信じ込んでいる大学に、子供を預けている親たちの気持ちが思いやられる
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】