公会堂の功徳

コラム『あまのじゃく』1958/5/7 発行
文化新聞  No. 2893


ムダで無かった公会堂建設 

    主幹 吉 田 金 八 

 飯能市も公会堂ができて、文化的に大発展をした。
 この公会堂は今から30年も前に、まだ飯能の人口が1万くらいで、端から端まで一里くらいしかなかった小さい町時代の先覚者たちが、『名栗に坊主山があって、誰も買手もない、さりとて村で植林するにも手がない時代に、山の木は植えて、わずかの手入れをするだけで、年月が経てば立派な財産になる。わずかの人手と金で今に立派な学校が建つ』という考えから、第2区の青年団と協同をして植林をして置いたのが立派な森林になり、これを切ったお金で出来たものである。
 だから、別に現在の町田市長のお手柄でも何でもない。
 この間、公会堂で県の里親大会があった時、控え室で町田市長、石井議長、飯島教育長などが開会を待っているところへ記者も割り込んだ。
「公会堂が出来て、こうした県下の催しごとが飯能に来るようになって、結構な事だ」と記者が言ったら、誰も異議のありようもなく「全く同感だ」と賛成し、石井議長などは「それもこれも町田市長のお手柄ですよ」と、例のお茶坊主のようなことを言って、お太鼓を叩いた。
 私は、成程公会堂は町田市長の時代にこさえたものだが、別にこれを造るために町田市長の功績と讃えられるほどのものがあったとは思っていないから、石井議長のお追従には乗らずに黙っていた。
 しかし、名栗の山を伐ったのは、日セの誘致に失敗した飯能市が、これによって発生した莫大な赤字を穴埋めするためには、どうしても不時の収入を見なければならない羽目になり、そこで先祖の山を伐った訳だが、ただ借金の穴埋めに山を切った森林を売ったでは市民に与える感じも悪く、誠に陰気で威勢が悪いので、穴埋めの方の理由はちょっと陰に隠しておいて、後世に残る記念事業のために山を売るのだというジェスチャーを取った訳である。
 だから五千万も山を売って公会堂に二千万を使い、第二区の小学校の改築と日セの穴埋めにあとの金を使い、とにかく、 山を売ったた金で立派な公会堂ができたという手品を使ったわけである。だから、何も町田市長の治績を顕彰するものはないと思う訳である。
 しかし、これはものは考えようで、町田市長がこうした文化的事業に無理解、無関心で暴君ネロのような人であったり、道教のような悪い政治家だったら、名栗の山は日本セメントの穴埋めの他は、市会議員の食料費とか接待費とかの、つまらない消耗品に費やされてしまい、公会堂は影も形を見せなかったとしても仕方がない。 幸いにして、町田市長はそれほどの悪い市長ではなかったから、こんな立派な公会堂が残ったわけで、物は考えようで、やはり町田市長の功績として讃えて良いのかもしれぬ。
 それにこの公会堂は現在の飯能くらいの規模には、全く適当な手頃の大きさであり、実際に各種の公演を実験してみて、これは多少難癖をつける点もあるかもしれないが、全く良く出来ているように思われ、二千万か二千五百万でこんな大勢の人に好印象を与え、市民が誇りを持って外来の人に示し得るものが出来るとあっては全く金は無駄には使えないと思う。
 最近、毎日各種の会合催し場として利用されているが、こんなにまで市民の文化の面に役立つとは、こさえる前には誰も考えなかったのではないか。
 天覧山グラウンド一帯の観光風致も一段と男前を上げたことは何人も認めるところであろう。
 今日も公演があって、公会堂の前はキャンディー屋の店がいくつも並び、皆それぞれ結構な収益を上げていたように見受けられたが、たったこの公会堂だけでも、何人かの市民が生活の代になるということを考えれば、この機に乗じて、もっともっと観光施設に市として旗を振るような重点的な施策を進めてもらいたいと思う。
 東京から一流の芸能人を招いても、今までの他の会場では全然引き立たず、ましてや、土地のアマ級では見られたものではないのが、この立派な公会堂の舞台と雰囲気で、十分な貫禄を示し得るとは大したものである。
※カット写真は東京日比谷公会堂です。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?