同士討ち
コラム『あまのじゃく』1951/10/15 発行
文化新聞 No. 167
甘く見た「非暴力の世論」
主幹 吉 田 金 八
元加治分村派が区内反対派へ殴り込みをかけた晩、飯能町署へ電話して「今区民の代表が警察へ押し掛ける」と警告して警官隊を町に釘付けさせた戦術を「共産党以上の巧妙な」と見出しをつけたら、左派社会党から「共産党引例するのはひどい」と軽いご抗議をうけた。
暴行事件を共産党になぞらえたのではなく警官隊の釘付けの点だけを同党の手口と思い合わせて、讃嘆した感じをヒョイと見出しにつけたままで、深い意味は無い。
元加治は富裕をもって自他共に任じており、そのための分村運動を起こしたものであるが、金持ちの1番嫌う暴力、殴り込みの手段をなぜとるに至ったのか。
一説には自治警存廃投票に元加治は国警を支持し、分村支持の飯能町農村部議員、隣接町村長なども強い国警はであり、自治警叩きき潰しの功労者がついているから、少し位間違ったことがあっても選挙の買収と同様に、警察はお手の物だと言う安易感から、あの大事を決行したのだとの見方もある。
ところが暴力は民主主義の敵であるとともに、自由主義、資本家の1番嫌いなものであることを彼らは1時忘れていた。
暴行事件の3時間後には飯沼検事正は飯能に車を飛ばしていた。
数日前は東京最高検の検事長まで飯能に来て捜査本部を訪問している。
日本中の世論に監視されているとは言え、検察陣が案外に強く事件の核心に迫っているのは共同謀議による集団暴行が地域区民の感情から発足したものから、階級的思想を内容としたものに発展した暁を心配すればこそではないか。
自由資本主義の指導者が引きずった飯能事件は、吉田内閣へ矢を向けた結果となってしまった。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】