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大企業に飲まれるな!

コラム『あまのじゃく』1963/10/6発行
文化新聞 第4585号


零細企業なればこその『生きる道』 


    主幹 吉 田 金 八 

 当たっている商売と思われるある商店主が「諸物価が高くなっている当今、私の商売は手間取り仕事なのに同業者の値下げ競争で最近は単価が下がるばかりで、営業の成績は思わしくない。こんな商売をセガレに引き継がせてもどうかと考えている」と案に相違した不景気話をこぼしていた。
 手間取り仕事なのに、都会の大企業はオートメーション機械を採り入れて安くやるから、田舎の旧式なやり方をやっている町の同業が自然と値下げ競争に陥って、共食い状態にあるのが実情らしい。
 世の中のことはおしなべて何かの教訓の中にある水鳥のようなもので、余所目には羨ましく見える。
 境遇が内幕に入れば見たほどではないも知れない。今は所得倍増ムードだから『不景気』だとか、『収入が少ない』とこぼすと意気地がないと笑われるようなものだから、世間体は他人並みの収入があるように装っているが、この商店主のこぼすのが本当の社会の実態なのかも知れない。
 この頃は経済の機構が大資本、大経営万能で、大会社でなければ事業はうまくいかないかの錯覚が一世を風靡していて、商店のせがれたちも「こんなに骨を折ってもうまくいかないのでは、月給取りになった方が気楽」といった考え方に落ちているようだが、私はこの風潮に抵抗を感じ、個人企業の存在意義と将来絶望でないことに確信を持って「槍一筋でも一城の主」を目指して自分も進み、子供達にもこういう風に教育した。
 商業の世界も平凡な経営なら百貨店、スーパーの大規模に押されるが、人間の心の中に例外や趣味・嗜好を求める気持ちのある限り、デパートの横丁に屋台のオデン屋が並び、 前の舗道に夜店のシャツのたたき売りが出て(最近こんな風景があるのか私は知らないが)結構売っているという。小企業の生きる道、小企業ならではの仕事は絶対に絶えないと思っている。
 現に印刷界でも大日本とか共同とかの大メーカーがどんなに多くの仕事をやっても、その仕事はそれらの大会社の工場で作られるのはほんの一部で、大部分は文京区その他の印刷屋町で個人小会社の下請けで作られている。大会社では入札を落すだけのコストでは絶対にできないと言う事である。
 飯能地方の電気、カメラの部品工場にしてからが、ほとんど大企業の下請けで立っている。今の日本の大企業は小さな下請け会社があって初めて成り立っていると言っても過言ではない。
 小企業は将来性がないなどと言う事は、商人工業家の敗戦主義者のようなものである。
 私は印刷業界の私の体験からしても、小企業商売の生きる道は絶対にある旨を強調して、この人を元気づけたが、「文化さんがそう言うのなら、悲観しないでやって見るかな」と、その人は私の前だけだかどうか、気を持ち直したようである。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】 

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