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利口な公民館結婚式

コラム『あまのじゃく』1958/10/7 発行
文化新聞  No. 3043


軽費用で数倍の意義と効果

     主幹 吉 田 金 八 

 久下幸一君と新井明子さんの結婚式が公民館で行われ、これが「飯能公民館結婚第一号」だというので、ちょうど日曜日のため新聞社も欠勤者ばかりで、原稿も文選も手が足りず、1ページ分くらい写真で埋めない事には間に合わないとあって、カメラを下げて公会堂に行った。
 久下君は本社の野口狭山支社長と友人で、よく新聞社に来る青年であり、こうした形式の挙式を、兄や嫁さんの家を説得して実行する勇気もある新生活の実践者として、文化新聞が大きくスペースを割くことも決して無意義ではないと思った。
 結婚式場は公民館ということで、公会堂の附属建物の方で行われたが、お客様の受付は公会堂の玄関であり、休憩用には公会堂の大ホールが使用されたり、ちょうど大ホールの利用がなかったお陰で、あの大きな建物を十分に使っていた。
 この使用料はといえば、公民館の会議室の分だけ金300円で良いのだとあっては、こんな安いものは世の中にあるまいと思った。
 これも公民館が推進する新生活運動の一環として特別便宜を図った訳であろう。
 飯能の公会堂もこれから5年も経てば壁も古びたり調度も汚れたり、それに他に立派なものでも出来れば見劣りもすることになろうが、今のところはまだ来たての花嫁さんのようなもので、どこもここも新しいものづくめで、帝国ホテルや東京会館は知らないが、会場としてはこの地方のどこの料亭にも負けず綺麗で整っている。しかも規模が大きいのだから、これを利用して挙式をすることは全く便乗的な利口者と言う事になる。
 二百円の会費でどんなテーブルが行われるか、献立などどんな風か、これもルポルタージュとしてカメラで捕えたいところだったが、締め切りの時間が迫って、食卓を飾るところまで拝見できなかったのは残念だった。
 花嫁さんは新井屋呉服店のお孫さんで、記者も子どもの時は呉服屋で育ったが、当時新井屋と言えば、吉田屋、松屋に匹敵する呉服屋で、畳座敷を店舗にして、前だれの番頭さんが反物を展げていたものだが、そのお孫さん(多分)が白羽二重とレースのウェディングドレスを着てお嫁に行くとは、世も変わったものである。
 この ドレスは、記者の見たところでは五千円くらいのものかと思ったら、やはり婚礼用はそんな位では生地は揃わぬと見えて、飯能家政の夜学に行っている市役所の小川敦子さん(22歳、これも松屋呉服店の当主の弟の娘、お嫁さんの従妹にあたる)が1ヶ月もかかって縫い上げたもので、実費以外の手間で合計1万円は掛かったとの事である。
 それにしても飯能の古い呉服屋の嫁さんが1万円の洋装で立派なお嫁姿になれるのだから、10万円もかかる振袖なんか売れなくなり、飯能の裏絹も一年中操業短縮するのも已んぬるかなである。
 呼ばれたお客様は勿論お嫁さんまで200円の会費制だが、公民館の事務所にあった6ダースほどのビール、自動車で運ばれたタケダの料理、鈴木屋本店の引出物菓子など、とても会費の範囲で賄える訳もないが、それにしても夕刻、子供が自転車を取りに行ったら、公会堂はひっそりして人気がなかったと報告したところを見れば、時間には綺麗に切り上げて、通常の婚礼にあるような乱痴気騒ぎも、酔い倒れも出なかったことは間違いない。
 このご両家は十の費用で2倍も3倍もの内容の結婚式を挙げられたわけで、実に時代に即した賢明で合理的だったと関心もし、ぜひこれを真似るものが続出して公民館がいつも満員になることを願ってやまない。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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