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吉田をふんじばれ!

コラム『あまのじゃく』1954/9/20 発行 
文化新聞  No. 1285


許せぬ鳩山の火事泥的ズルさ!

    主幹 吉 田 金 八

 鳩山一郎が重光改進党総裁と会談して、吉田茂を追っ払って新党をつくる相談を打ったという。
 吉田自由党内閣首班が国民代表でなしに(国民は大部分意味のないこの外遊に反対している)自由党内閣の代表として米国を訪問している留守に新党が出来、勢い自由党も実質に於いて解党してしまって、吉田茂は何の代表として外国を公式訪問したのか判らない立場に立たされて、泣きベソをかく図を想像することも愉快である。
 ちょうど故国の信任状を持って鹿島立ちした外交大使が、相手国に行き着いた途端に、電報で大使の任を解かれたような惨めさと同様で、いかに押しの強い吉田茂でも、先方が国家代表とも、政府代表とも取り扱ってくれないことは目に見えている。
 永年に亘る政権の壟断で、人もなげな態度で新聞記者にコップの水を掃きかけたり、大磯への往復に自動車の中にチンを連れ込んで、ふんぞり返った吉田が、一遍でも人生の悲哀を感じる羽目に立つという事は、彼には蛆虫にも値しないと思われている国民大衆にとっては、留飲の下がる事この上もない痛快事に相違ない。
 それはそれとしても、吉田が国民の人気がなくなってしまったからと言って、今まで同じ党人として腕を取って進んできた(腹の中は別物でも)鳩山が、このときとばかり吉田排斥、新党の党首イコール次期政権の担当者を目指してゴソゴソとやる事には賛成できない。
 鳩山も吉田と同じ政権病患者で、何が何でも死ぬまでに一度総理大臣を、そのためには手段も見得も構わないという浅ましい行動には、彼が自由党の正統であり、パージのために総理大臣の機会を逃し、不自由な脚をさすりながら、髀肉の嘆をかこっているという事には、いささかの同情はするが、吉田が外遊を機に火事泥的に、真珠湾攻撃的に内閣首班を狙う行動には不愉快を禁じ得ない。
 そんな事なら折角分自党で立つのだから、クサレ縁のヨリを戻さず、保守野党の立場を守り通さなかったのか。
 鳩山一郎にも女郎の様な、アッチへベッタリ、こっちへベッタリのいやらしいものを感じる。
 鳩山の政治行動の総ては、ただ政権を掌握せんがために、あっちに動き、こっちに動き、ちょうど打揚げ花火のふくらし物を拾うために、その行方を求めてあっちこっちとうろたえ動く子供の様ないじらしい姿である。
 百万円の門を作って、栄華の一生続かん事を願い、総理大臣としての外遊(帰ってくれば、下野しても良いと了解)にしがみついている吉田も、政権の亡者である鳩山も誰がどう見ても頭がどうかしているのではないかとしか見えない。
 狂っていないまでもボケていることだけは確かである。ボケた頭には悪い事も悪いと感じられず、平然として国会の喚問を蹴とばし、図々しいのを押し通しているが、これをこのままで看過する様な事があれば、日本人全体が敗戦ボケしているのとの印象を全世界に与えて、いよいよ日本が馬鹿にされる事ばかりであろう。
 吉田を外遊せしめてはならない。
 少なくとも外遊するのならば、国会の喚問に応じて立派に言い開きをした後において行うべきである。
 公務のためと称して公務の召喚に応じない態度は、商人が商売が忙しいから法廷の召喚に応じないのと同じ事である。
 法律を踏みにじろうとする吉田を法律で踏ん張ってしまえ。
 両社党、前回の国会乱闘事件以上に頑張ってくれ。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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