見出し画像

金に頼る不幸

コラム『あまのじゃく』1953/8/28 発行 
文化新聞  No. 868


繰り返される金融犯罪

    主幹 吉 田 金 八

 某株主総合金融が不始末をさらけ出して、飯能地方の出資者に大恐慌を来している。誰々は100万円だとか30万円だとか、損害額が人の口の端に上っている。
 出資金の総額が全部そのまま損害になるというわけでもなく、会社にも若干の財産や、貸付金もあることだから、会社を解散させても幾分の配当はあろうものの、清算過程に入れば経費もかさむし、貸し付けを受けた人たちも会社が潰れたとなれば、返済を渋るであろうから、潰れた会社の出資者など常に惨めな結果になることは見えすいている。
 この事件が教えるものは、金というものは案外なところにあるものだということである。俗に有りそうなところに無くて、無さそうな所に有るのは金だというが、今度の被害者の顔ぶれを見ても、ほとんど表に出たような人たちは、何十万もの金を持っていながら、一見金もないように装っていたことである。
 門戸を張って営業している人たちは、税務署に目をつけられて持て余すほどにはお金も貯まらないらしく、ほとんど有名商店、事業家等の関係者の名を聞かないが、敢えて失礼を承知で言うが、パチンコ屋さんとかパ〇パ〇屋、その他、極めてつまらない、人の目に留まらぬ商売の人たちが、案外の大金を持て余して、人知れず不当な利殖を窺かがっていたことが判明。
 だから、株式の急激な値下がりとか昔流行ったソーカイとか岩松とか、大衆の暗愚を狙った過当投機で時折損をして、長年税務署を胡麻化していたのが、いっぺんに税金を取られる様なことになる。
 今度の関係者たちも「欲が深いから引っかかったのだ」と世間の人に笑われまいとして、自分の出資額を隠している風に見えるが、人間は分相応以上の欲をかきすぎると、時折天の配剤でお仕置きを喰うことになる。
 「新聞は儲かりますか」とよく人から尋ねられることがある。儲けようとも思わないし儲かりっこないのを承知で始めた仕事なのだが、この気持ちを正直に言ってみても、100人が100人信用してくれないから、「ええ、どうやら」と曖昧な言葉で濁してしまうが、記者の方でこそ、「金を残したい、儲けたい」とアクセスする人の気持ちがわからない。
 だから金など何日もあったためしはなく、常に右から左である。
 ひと頃はその右から左へもずいぶんと苦しいこともあったが、最近紙代を80円に値上げしたことから、どうやら右左も順調になってきた
 いつも言うことだが、「新聞社は紙とインクと活字とだけあれば結構」と、そのぐらいだから、拝金主義の教育は施さない。まず、体を丈夫にすることと、頭の中に金を貯めろと言って聞かせている。
 財産は火に焼かれ、水に流され、国家が変革されれば、一銭の価値もなくなってしまう。強健な身体と優秀な頭脳は、どんな天変地異にも動じない無限の財産だ。
 金のみに頼らざるを得ない人たちこそ不幸だと思う。


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?