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伏魔殿 ”日セ問題後始末”

コラム『あまのじゃく』1956/2/5 発行 
文化新聞  No. 2062


出血を見ねば治まるまい

    主幹 吉 田 金  八

 飯能市政もいつになっても明朗になりそうもない。
 日本セメントの誘致に失敗したのは、分村問題のしこりが祟ったためであることは間違いないとしても、飯能市が一千万円以上の損害をして事が成就しなかった日本セメント埼玉工場も、飯能市の犠牲が踏み台となって日高町に建設され、毎日モクモクと巨大な煙突から煙を吐いている。
 煙と一緒にセメントの灰が出るか出ないか、出ても鹿山峠を越して飯能市にまで降灰はあるまいから、被害の方は仮にあったとしても、3年後には年間一千万は確実に固定資産税を受け入れられる日高町が背負ってくれることは間違いない。飯能市はセメント会社を日高町に取られて、損の上塗りばかりしているかといえば、決して左にあらずである。
 市費は一千万円がとこ赤字になっても、日セの建設工事のため飯能に落ちた金は一千万や二千万ではなかった。 それがために神武天皇以来、越すに越されない関門である芸妓の定員30名をあっさり飛び越えて、今市内には50名近い芸妓数を擁して花柳界飛躍のチャンスをこさえた。
 何百万円かかったか、人工温泉として県下の名物になった東雲亭の大浴場も、日セの恩恵の所産と言っても過言ではあるまい。
 何十億という工事の建設業者が飯能に散財した額は莫大で、直接間接程度の差こそあれ飯能は相当潤っている。 ただに建設中のみならず、多分に恒久的に日セが飯能の繁栄に裨益する例証は沢山ある。あまり詳説することは個人の秘密にも触れるから省略するが、日セは飯能の繁栄に少なくとも5年の飛躍を与えたことは否めまい。
 だから一千万、二千万市費が吹っ飛んでも、そんなに泣きっ面をする事もないと思われるのだが。さて、問題が市の財政で個人や営利法人のごとく商売以上の見込み違いとして欠損を償却して行くことが出来ない事だけに事は面倒である。
 町田市長は目下この 赤字の補填に頭を悩ましている。誘致委員会が反対派説得のために実弾を飛ばした後始末も、大沢知事を動かして市に寄越すべき見舞金の内、150万円を別封にして誘致委員会の終戦処理費として日セから出させ、これで一切の秘密的失費を清算しようとかかった。
 ところが、この150万円の割り振りを荒川議長の独断で、誘致委員会の主だった者だけで決めてしまったことが、又々こじれ始めの動機を作った。
 議会の中の誘致委員の全体委員に名を連ねている連中から異議が出て、『こうした問題は全体会議で処理すべきが常道である。誘致委員会は市議会が議決で成立したものであり、日セが150万円出したから良い様なものの、出さなかった場合は当然尻拭いは市でやらなければならぬとすれば、 誘致委員会が貰ったのだから、委員会だけで適当に始末するというのでは、穏当でない』というのが、これらの主張である。
 この意見の正当性にはかなわず、荒川議長は平謝りで処理をし直すということで出直しとなった。
 ところが、この誘致委員会の出費のほとんどが、言わば陰密的な工作費なので、全体委員会のようなガラス張りで審議するには都合の悪い内容なのである。だから、甲委員がA地主を懐柔するために某料亭で使った何万円の飲食費を経費として認めるからには、乙委員がもっとも頑強なB地主の反対を切り崩すために乙委員の自宅で某仲介者に渡した何万円も認めてくれという事になる。
 この当時、委員の中には『勘定は委員会が払うから』とばかり、農民の説得に名を借りて料亭で豪遊した飲み勘定を委員会が承認せず、随分長い間、料理屋とモンチャクの続いたのもあり、某料亭ではその委員が市議であるために、市議会のたんびに市役所の小使室で頑張ったのなどもあり、これらの便乗的乱費を全部150万円の終戦処理費で賄うことは出来っこない。ある経費は認められ、ある経費はオミットされた。
 委員会が認めなければ委員の個人が始末せねばならず、どうしても不満組が出て來る事になる。特にそうした傾向の濃いのは、終盤に至って当初誘致に冷淡だった町田市長が、反対派の切り崩しに必死になった頃、ばらまいた機密費は大部分必要経費として150万の中から支弁されたが、それ以前の機密についてはほとんどが篩にかけられてしまったという事である。
 だから『市長は自分だけ少しも損をすまいとしている』という陰口も囁かれ、除外された経費の支弁者中にはかなり白い目でこの処理を睨んでいる委員がいる。
 そこへ持ってきて、反対派の買収費を途中で猫ばばしている委員がいるという確証が上がったらしい事である。
 しかもその委員は現職の市議委員であり、尻尾を握ったのは一部では悪たれの横紙破りとみられている篠原茂前市議であるから、事は面倒である。
 篠原市議は関係地主層から提供された情報に基づいて、「市の善処」を声高にわめき始めたが、『 帳簿と機密はこっちが握っている。篠原などに真相は判りっこない』とばかり、町田市長や荒川議長が高をくくったのが悪かった。
 さらに篠原くんの存意が『これらの欠点を握って何か求めているのであろう』と物欲し猿に見立てたのも事態をさらに悪化させたようである。
 雨だれ荘に同君を招いて『君が事を荒立てなければ「マルキ」の商品券をこれくらい持っていく』と5本の指を某市議が出したこと。この席に荒川議長、増島助役(これは当時市長の意を受けて出たものと一般は解釈している)等が同席した事などから、『これはもっと臭い事があるに相違ない。こりぁ二分じゃあ収まるめぃ 』と今様源氏店の如きことになってしまった。
 篠原前市議は150万事件の陰に不正あり、として飯能警察に『恐れながら』と出たから事は穏やかでなくなった。
 同君は人も知る分村事件の収賄町議摘発の動機を作った男である。警察でも警察庁でもどんどん出かけていく猪歩者である。反対地主の買収費を猫ばばしたことが涜職になるか横領になるか、委員会の金は公金なのか、私金なのか、色んな点でハッキリしないところはあるが、形勢がこうなって見ると、いずれかの面で出血なしには収まらないかも知れない段階に立ち至って来た様にも感じられる。
 また、一部には今度の篠原氏の挙に快哉を叫んでいる人達のあることも見逃せない。こうしたところにこの事件の発展性は軽視できない。
 またたとえ一部にでも、日セ誘致に便乗して私腹を肥やした者、しかも、それが現職の市議にあったとして、これをこのまま見逃してウヤムヤで表面を胡麻化していったとしても、この心証は前渡半金のまた半金の返済を渋っている半金地主にどんな影響を与えるか。
 『奴らでさえ宜しくやっているのだから、何も無理してまで返さなくとも』と頬かむり地主が続出したとなると、大変である。
 さなきだに、31年度予算の編成難の飯能市の現状、1200万円はこれらの地主の返金を当て込んでいる財政から言って、これがスムーズにいかなければ、公会堂を造る為に先祖伝来の山を切った金も、公会堂は遠く及ばず、結局日セの後始末に雲散霧消してしまうのではないかと懸念するものさえ現れ出した。
 とにかく困った問題が勃発したものである。
 セメントの因果だから、春の雪のように簡単にも溶けまいが、『早く日セという文字から縁を切りたいものである』というのが市民の偽らぬ気持ちではあるまい。 


 コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
 このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】

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