司令塔の手

 あまりにもよく動くなと思った。足ではなく、手が。

 鹿島との開幕戦。名古屋の森島は最終ラインまで頻繁に下がり、そのたびにボールの行き先を指示していた。自身とは反対のサイドを高く指すこともあれば、両手を膝の辺りで広げ、足元へのボールを求めることも。忙しく意図を示す両手は、あまり見ない光景だった。

 なぜ珍しいのか。トップレベルなら「言わなくても分かるから」であり、さらに言えば「いちいち言わなきゃ分からないようでは戦えないから」だろう。ではなぜ、何度も指示を出したのか。おそらくは本人が、必要だと考えたからだ。

 加入2季目。速攻頼みだった名古屋がつないで崩せるチームになるための中核と目される。今季への期待は自他ともに認め、その役目を果たせなかった昨季の悔恨も隠さない。その司令塔は開幕のこの日、国内屈指の走り屋稲垣に肩を並べる11.6キロを走り、危なっかしい後方のビルドアップを成立させることに奔走した。結果として、チームは相手のミス以外にほとんどチャンスをつくれず、0-3で無惨に敗れた。

 思えば昨季、名古屋は「マテウスのチーム」だった。自陣から脱出するためボールを前に押し出すテクニックも、セットプレーも、速攻を駆けるスピードも、マテウスの個に依拠する形で一時は強豪の体をなしていた。サッカーに限らず、有能な少数のスタッフを頼みにした組織運営には、やがて歪みが訪れる。長谷川監督3季目の今年、目指すスタイルには修正を施しながらも、解決策に個人名が挙がる構図は変わりない。

 直前でけが人が多発したシーズン開幕戦の0-3。手痛い敗戦も38試合の1つに過ぎず、0も3も、ただちに司令塔の出来を表すことはない。一方で、「こうすればよかった」がはっきり見えなかったことは確かだ。気が晴れるはずはない。

 勝てばやりがい。負ければ重圧。11人の1人に過ぎない司令塔は、大きすぎる荷を背負って1年を走り始めた。相手を制する、速く走る、歓喜に突き上げる。その両手を自分のために使えるようになった時、きっと、チームの歯車は滑らかに回る。


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