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感謝とは

「ご両親に感謝しましょう」「ご先祖様に感謝しましょう」ということが良く言われます。私はそれを聞くたびに、「何で感謝しなけりゃならないんだ」と思っていました。

産んでくれと頼んだわけでもない。人間関係や仕事などでうまくいかないと、家庭環境が悪かったせい。生まれてきたせいでこんな辛い目にあっている。うまくいけば、こんな環境のなか私が頑張ったから。本気でそう思っていました。

さて体調を崩し、治療がうまくいかない時期があって、だんだん気弱になってきます。私が悪かったのかな。傲慢だったのかな。母の苦しみを身をもって知るため、こうなったのかな。幼少期の私と私の息子の配役を入れ替えて想像してみると、たまらない気持ちになりました。

藁でも神仏でもすがりたい気持ちのせいか、生まれてはじめて「感謝」という気持ちが芽生えてきました。

母はこれ以上に具合が悪いなか、私を育てたのか。父は、会うこともない私のために養育費を払ったのか。祖父母は、余生をゆっくり過ごしたいところを孫のために育児の手伝いをしたのか。

当たり前だ、まだまだ足りないと思っていた親祖父母の行為は、今の私にできるかといったら、できません。じゃあ元気ならできるかというと、一人ではできないだろうなぁと思う。だから夫なり保育園なり学校なりが、みんなで支えてくれたのに、それも当たり前で何故私だけがこんなに大変なのか、ほかの人は親が支えてくれるのに、と思っていました。

今は、過去の親の気持ちがわかって有難いと思うと同時に、今私を支えてくれる人も有難いと感じます。治療してくれる先生や、直接お会いするわけではないけれど本を書いてヒントをくれる先生、体調に合わせて電話したり会ったりしてくれる友だち、文句も言わず養生させてくれる家族。「有る」ことが奇跡のように「難し」です。

「感謝するから、病気を治して助けてよ」というシタゴコロがゼロではないと思いますが、なんか大切なことに思い当たった気がする…この気持ちを忘れたくない、というのも事実。だから、書いておくことにします。

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