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自分の部屋がないというコンプレックス

今日はちょっと恥ずかしい話をしたい。最近引越しを考えていて、手始めにネットで検索したりアプリで探してみたりしているところだ。ここにテーブルを置いて、テレビとソファーはここに置くといいかな、など。妄想が膨らんで少しだけ楽しい。

何より「自分の部屋が持てるかもしれない」というワクワクが、今の私にはある。

今は2DKに大人三人暮らし。
個人の寝室はなく、家族で川の字になって寝ている。
20歳で自分の部屋がないなんて、周りの子には口が裂けても言いたくないほど、私にとっては恥ずかしい話だ。

小学生のころ、自分の部屋を持っていないという子は少数派ではあったが周りには何人かいた。友達と遊ぶ時は相手の家に行ったり、たまに家に呼んだりした。

でも家に呼ぶとしても私には自分の部屋がない。だから代わりにリビングとして使っているテレビがある部屋の背が低いテーブルを退けて、辛うじて子供が何人か座れるほどの(家の中では)広いスペースを作っていた。テレビがあるからWii Uも出来る。クッションがあるからみんなで座って3DSも出来るしお菓子を食べながらお話も出来る。当時は何不自由ない空間だと思っていた。

しかし小学校高学年、中学生と年齢を重ねる度に私は「自分の部屋がないことは当たり前では無い」ということに気づいていく。やがてそれは一つのコンプレックスとなり、私にとって恥ずかしいことになった。高校からの付き合いの子たちには言ってないんじゃないかな?

少しだけ大人になって今思うのは、それぞれの部屋、パーソナルな環境は同居人が家族であっても必要だということ。これを読んでいる人や周りの人たちはそのパーソナルな環境を持っている人が大多数で、逆に自分の部屋がない環境なんて考えられないのではないだろうか。

あー、それが羨ましい。憧れる。

私がもっと大人になって家庭を持つなんてことがあった時には、ちゃんと個人のスペースを確保できるような住まいづくりをしたいものだ。

また、自分の生活に合わせた住環境の変化も書かせない。余談であるが、新型コロナウイルスが流行し始めて最初の緊急事態宣言のとき、ステイホームの呼びかけで国民の多くが自宅から勉強や仕事をしていた。その時話題になったのは「おうち時間」という言葉。引越しまではいかずとも、今の家に籠った生活という環境をどう過ごしやすくするか、工夫しながら住環境を変化させた人は多いのでは無いだろうか。

引越しは「おうち時間」人生単位バージョン。快適に過ごせるよう、年齢に合わせて変えていく。小さな植木鉢で育った植物が成長して大きな植木鉢に移植させるのと同じように、人間もそういう住環境の変化をさせていくべきだ。生まれてから20年間、ずっと同じ家に住んでいる子どもはそう思う。文面にすると恥ずかしい。

そろそろ実家を出なければいけない年に近づいている。誰かと暮らす前に自分の部屋も持ってみたいし。
だから私は自分で次の住まいを探す。20歳っぽい住まいをするために。

ただ自分の貧相な住まいが露呈しただけの投稿。恥ずかしい。でも部屋探し中にふと思ったのでここに綴る。

少しでもこの気持ちが成仏しますように。

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