テラヤマキャバレーを観て
私は寺山修司という人が、名前は知っているが、何をしてどういう作品があるかなどは知らない。ただ、演劇関係の人だということしか知らない。
しかし、興味本位でテラヤマキャバレーという舞台を観に行った。
よく、1回観ただけではわからないので何回も観るとか、再演より初演の方が良かったとかいう人がいるが、本当にそうだろうか?
逆に言えば作り手はただ興味本位にはじめて観たという人をも唸らせる、お金を払って、時間を作って観てよかったというものを作らなければならないのではないだろうか?
人によってその時の体調もあるし、感じ方が違うのは当たり前だが、知識がなかったら観ても分かりませんよというのでは、本当のエンターテイメントではないと思う。
さて、テラヤマキャバレーはどうであったか?私には作り手の愛情が十分伝わった作品だったと思う。
なぜなら、具体的なことを挙げれば、アパートさんという芸名の役者が出てくる。私はそれだけで、いま私が日生劇場の赤いシートに座っている間にも、アパートで亡くなっている人もいるのだと想像したからだ。
お芝居は想像をかき立てる。そしてそれこそが多少の訓練のいることなのだ。
例えば、私はいわゆるHOW TO本というのが嫌いだ。やたらとそういう本ばかり読んで、本を何冊読んだと自慢している人を見かけるが、それが本当の読書だろうか?読書というのは、物語を読んで、想像を膨らませ、心揺さぶられる体験をすることではないだろうか?
それと、これはあまり言いたくないが、子どもは立体というものをわからせなければ、いくら暗記物に強くても、大学受験ぐらいになると必ずつまずく。つまり、テレビやゲームでは立体がわからないのだ。小学校4年生ぐらいで習う立体の体積などでつまずく子の多くは、幼児期に立体をわからせていないからだと思う。
話はそれたが、演劇のいいところは、想像力をかき立てる力があるということだ。テラヤマキャバレーは、西日の当たるアパートで名前のない役、例えば通行人Aとかそういう役者もいるんだよということを想像できない人にとっては、表層的な物であったに違いない。
最後に凪七瑠海さんの早期のご回復をお祈りしたいと思う。
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