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言の葉ノ架け橋【第10話】🈡

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架け橋(最終話)


山からの風はまだ涼しいけれど、それでも最近、日中の気温はぐんと高くなってきた。短頭犬種は暑いのが苦手。一足早くウメ子先生は夏休みにして、お家でお留守番させなきゃかな。

玄関のクスノキにウメ子を繋いでいると、遠山が出勤してきた。
「あれ。遠山先生、早いじゃないですか。何の間違いですか」
「間違えてませんよ。失礼な。今日は上野室長も藤原先生も朝から会議で外出と聞いていたので早く来たんです。門馬先生ひとりで、大丈夫かなと」

朝早く登室する子もいるし、たしかに何かあったときに困るから誰かいてくれると助かるけど。
「朝の電話対応くらい、ぜんぜん大丈夫ですよ」
「いや、なんか、その。門馬先生、最近元気なかったっぽいんで」
遠山は寝ぐせだらけの頭を掻きながら言った。

ここ暫く、ウメ子の元気がなくて落ち込んでいた私に気付いて心配してくれていたのかな。そう思うと何故か恥ずかしくなり、私もつられて自分の髪を撫でつける。
無言の空気が気持ち悪くなり「では、さっそくですけど、玄関がホコリだらけなので掃いてください」とお願いすると、遠山はイソイソと掃除道具を持ってきて短い箒で丁寧に掃き始める。

その屈んで丸まった細い背中を暫く見つめていると、自然と言葉が出た。
「遠山先生って、いつも色んなことに気付いてくれますよね。助けてくれて嬉しいです。ありがとうございます」

遠山は奇怪なものを見るような顔で振り返った。
「僕に感謝してるんですか? 門馬先生、どうしたんですか。何の間違いですか」
「何の間違いでもありませんよ。失礼な」
お礼ぐらい、いつでも普通に言っていたと思うけれど。ちょっとかしこまりすぎただろうか。
遠山は、眉間のシワはそのままに再び箒を動かす。

「私、ちゃんと言葉で伝えたほうがいいと思ったんですよ。心の中では遠山先生や藤原先生に毎日感謝してましたよ。だけど、言わなくても分かるとか、目を見れば分かるとか、愛があれば伝わるとか。そんな時でも、あえて言葉にしたほうが確実に伝わるな、と」
そう言うと、遠山があからさまにビクついて一歩下がった。
「愛ですか?」
「あ、ちがう。ちがう! 遠山先生に愛はないですよ。それはウメ子とヨウちゃんの話!」
「ウメ子とヨウちゃん?」
「そう」

昨日、コージさんが帰り際に、面白いことを教えてくれたのだ。

「いくら大好きなペットでも、共通の言語がないと完全な意思疎通は難しいもんですね。だけど希生先生は幸せだ。いつもその鳥が翻訳してくれるんだから」
「えっ、翻訳?」
私が驚くと、「違うんか?」とコージさんが逆に驚く。
ヨウちゃんは真似するだけじゃなくて会話が上手だと思っていたけれど。挨拶したり、「ナッツ食べたい」とかも多いけれど……。
ウメ子がブヒブヒ喋る声をじっくり聞いてから、私に何か伝えてくれているようにも思える。そんなタイミングでよく喋る。
「いや嘘でしょ。え、ほんとに? いつもヨウチャンが喋ってる言葉って、ウメ子の言葉だったの?」
ヨウちゃんに話しかけると、まんまるい瞳をキョトンとさせ、足で首元をカキカキする。早口過ぎて理解できなかったのだろうか。何も喋らない。
ブヒブヒ
私の腕の中にいたウメ子が鼻を鳴らすように何か言うと、ヨウちゃんは突然ハッとしたように「そうよーォ」と喋る。
「やだ。訳した! うそっ。ほんとに?」

ブヒブヒブー
「ほんとーォよーォ」

ヨウちゃんがなぜうちに遊びに来るようになったのかは分からない。翻訳をしているというコージさんの考えも、当たっているのか分からない。
だけど、私とウメ子の心を繋ぐために言葉を使ってくれていた、というのは間違いない気がする。
未熟な私のために、本当にウメ子の言葉を伝えてくれていたのだとしたら、世界中から感謝の言葉をかき集めても感謝しきれない。
胸がいっぱいになった。

「ありがとう。ヨウちゃん」

ヨウちゃんは「ピヨ」とひと言、歩行者信号機のような言葉を返した。照れ隠しみたいに。
「いつもヨウちゃんの言葉に励まされた。本当にありがとう」
再度お礼を言うと、いつものように首元をカキカキしてから、
「ドゥ! イタシマシテー」
と元気よく叫んで大空に飛び立って行った。

「言葉って、大切な誰かと誰かをつなぐ架け橋なんだなって思ったの」
「まあ、言葉って、そーゆーもんですよね」
遠山は、相変わらず素っ気ない返しをしてくる。
「私はあらためて、それに気づいたのっ。言葉がなくても何とかなることが多いけど、言葉が伝われば、理解も絆も、もっと深まるって」
そう言うと、遠山はどこか安心したような笑みを浮かべて、軽く頷いてくれた。

「私、どんなに話をしてみても、うまく伝わらないなって、人と話すのが怖い時期もあったんですけど。価値観が違いすぎるとか、育った環境が違うとか。そんなことに甘えたらだめですね」
「それはウメ子とヨウちゃんの話ですか?」
「ううん。それは仕事の話。常識が通じないとか、言わなくても普通は分かるだろうとか、昔、私を慰めるために言ってくれる人もいたんだけど。でもさ、子供たちはまだ上手く伝えられないことも多いだろうけど、大人たちがお互い相手のせいにして自分に甘えていたら、犠牲になるのは子供なんだよなって」
「そうですね。言葉が足りないとか、伝え方が違うとか」
「はい。もっと、がんばんなきゃ」

ヨウちゃんの出勤していないクスノキのてっぺんを見つめて思う。
「まずは横手川くんの家かなぁ」
彼にはまだ、何も言ってあげられていない。彼の本当の思いも分からない。ちゃんと話をしてくれるのだから、全て聞いて受け止めよう。親御さんと一緒に、彼の未来のことを考えていこう。

「僕が言うのも何ですけど、門馬先生、なんか、ちょっと変わりました?」
「そう、かな?」

ここで働き始めた頃は、毎日の業務を必死にこなすだけだった。けれど、ここでは大きな問題を起こすような子もいないし、比較的穏やかな日々を送れるようになって、それに甘えて過ごしていた気がする。

「私、勘違いしていることに気が付いた」
「勘違い?」
「そう。私は、ここで働くことが、教員に戻るためのリハビリみたいなものだって思ってた。ひどいよね。そんなの大きな間違いだった」

ここでは授業研究や授業準備の必要もないし、学級経営の苦労もない。
そのぶん、勉強を教えて「分かった」と言ってもらえることは大きな喜びだった。だから、学ぶ意欲がない子には少し物足りなさも感じていた。
でも、そこに「一番のやりがい」を勝手に見出していたのは、教師だったという私の小さなプライド。

勉強はもちろん教えたい。でも、家から出るのが辛い、ここに来るだけでも精一杯。そんな子たちが一生懸命、社会と繋がろうとしてここに足を運んでいるのだから。
必死に踏ん張っているその芽を、まずは優しく、大事に育てなきゃいけない。ひとつでも蕾をつけられたら、社会に出てその花を咲かせられるように、それまで守って支えなければいけない。
私は、その仕事に正面からちゃんと向き合っていただろうか。

それに、手続きをしても登室できない子だって多くいる。せっかく見学に来て話す機会があったというのに。その子にとって、その保護者にとっても、ここが安心できる場所だと感じられなかったということなんだ。

無力感に苛まれてる場合じゃない。

「私たちを信じて大丈夫だよって、責任を持って言葉にしていきたい。『かけはしここ』には、自分の居場所があるって、安心してもらえるように努力していかなきゃって、思ってる」

強く宣言してから、遠山にそっと尋ねる。
「私、気づくの遅かったかな」
「いや。成長スピードは、人それぞれですから」
遠山の言葉に「相変わらずキツイなぁ」と少し笑う。

よし。
やるべきこと、やいたいことが見えてきた。

フゴフゴフガガゴー

ふたりして、ウメ子の言葉に耳を傾ける。
「キイ先生を応援するって言ってますよ」
「私にもそう聞こえた」
私たちは、肩をすくめてフフと笑い合った。

バチバチッという砂利の上を走る車の音がする。
早くも親の送迎で誰かが登室してきた。

今日は何人登室してくれるかな。今日はどんな言葉を交わそう。昨日よりきっと、ほんの少しでも成長している子供たちに会うのが楽しみ。

今の、そのままの姿を受け止めて、子供たちの歩幅に合わせて、ここの先生たちと、ご家族や学校の先生方と、同じ方向を見つめて進みたい。

生徒玄関の扉を大きく開け、ゆっくりと歩いてくる子の名を呼ぶ。そして続けて言葉をかけた。

「おはようございます。顔が見られて嬉しいよ」

 
 


言の葉ノ架け橋 【終】



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