あとがきにかえて②墓場まで持っていきたくないから

前回の①では、痴漢未遂にあったという話を書きました。
その話は、今まで身近な人に何度か話したことがあります。
怖いから見張ってて、と一緒に居る人にお願いしていた時期もあります。

今回の話は、誰にも話したことがありません。
ペッて吐き出したほうがいいのかどうか分かりません。
そうすべきことではないようにも思います。
誰にも話したことがないのに、Webに吐くって問題あるとは思います。

ただ、このまま「墓場まで持っていく」のが嫌だ

最近になって、たまにそう思うのです。

16歳だったと思います。
まだ、男の人と付き合ったことがなかった頃の私です。

記憶は朧げです。

運動部で、膝を悪くして病院に行きました。
我が家は滅多に病院にはいきません。風邪くらいなら寝て直す家です。骨折等も経験ありません。小学生の頃、盲腸の手術をした病院が、唯一のかかりつけのようなものでした。3階建てくらいの大きめの個人病院です。
そこに行きました。

※ 現在住む県ではありません。現在親の住んでいる県でもありません。

最初の痛い治療のあと、数日の間、「電気をあてる」という治療のため、自転車で、ひとりで通っていました。
ある時、院長に診察すると言われました。
医師が何人いる病院か記憶にありません。盲腸の手術をしたのは院長です。院長に診察されることは普通のことです。
おそらく看護師さんに連れられて、だと思いますが、大きな院長室に入りました。その部屋に入ったのは、おそらくその時だけです。部屋の中で看護師さんの顔を見た記憶はあり、その時は普通に明るかった気がします。
ですが、その後の記憶の中では、その部屋は暗かったです。記憶違いかもしれません。でも、私の記憶の中では、常夜灯より少し明るい程度のあかるさの中で診察を受けました。

診察台の上に、上半身は起きたまま後ろに手をついて、足を延ばして座りました。
看護師さんは居なくなりました。いつの時点で居なくなったかは記憶にありません。もしかしたら記憶違いで、最初っから居なかったのかもしれません。
院長は膝を触って状態を確認しました。もうほとんど直っていると思える頃です。
院長は、足の付け根を確認しました。リンパ節が腫れていないか確認、のような説明です。
どのくらいの時間か分かりません。私にとっては、「ある程度長い」と感じる程度の時間です。
ずっと触られていたのは、足の付け根ではなく、陰部でした。
触られている間じゅう、じっと目を見られていました。
診察が終わると、診察台から降りて、部屋を出ました。

その日、だったかどうか、はっきりとした記憶がないのですが、私は会計を忘れて帰りました。
電気をあてる治療は、毎回、数百円でした。
家に帰ってしばらくしてから、会計していないのを思い出しました。それを結局、どうしたのかは記憶にありません。

数年後に、家族でその土地から越しましたので、今では、遠くの地で起きた話、です。

土地を離れてから、思い出すときがありました。
芸能人が事故を起こしたり病気になると、全く関係ないけれど、その院長がテレビに出て症状を説明したりしているのを何度も見るからです。
マスコミが好きらしいです。

でも、その画面を見ても、特に何も思いません。
あの時の診察が、「あったな」という事実を思い出すだけです。

あの時の私の感情は「無」でした。

16歳にしては幼いと思った人もいるかもしれません。
たしかに、精神年齢も体つきも、幼い子でした。
今の高校生は化粧とかするでしょうが、昔の話です。地味な顔にショートカット。少年のような体つきです。
おかしなことばかりでしたが、当時は何も分かりませんでした。分からな過ぎて、「不快」という感情もおそらくありませんでした。

あの時の私の、どこに非があったのでしょうか。

わずかな疑問はありました。
リンパ節が、そんなところにあるのかなと気になった。(足の付け根にはありますが)
その時の疑問があったので、かろうじて、あのとき何が起きていたか、何年後か分かりませんが、あとで自分が理解できた、というわけです。


ただ、現在の私の感情も「無」です。

思い出しても、憤りも、悲しみも、悔しさも、ありません。
無 です。
思い出したくないという感情も特にありません。

ただ、今まで誰にも言いませんでした。
言えなかったのか、言いたくなかったのか、分かりません。
感情が、無いのですから。


現在は、その病院は息子が院長のようです。
本人がまだ生きているのかどうか、知りません。死んでいてもおかしくない年齢と思います。
昨日、ググってみたら病院の評価が 2.5 で、ほとんど悪口しか書かれていなかったので、少し笑いました。

この件に関して、初めて私におきた感情表現が「笑う」でした。



①②とふたつの記事を書き終えて、今やっと、涙が出ました。ほんの1分程度、声をあげて泣きました。

ペッと吐き出せる気がしました。
こんな話、大事に墓場まで持っていきたくないとあらためて思います。

訴えたい気持ちもありません。証拠もなければ、記憶がはっきりしませんから。記憶のすべてが間違っている可能性もあります。
その時の記憶が飛んでいるわけではありません。ただ単に、日を追うごとに薄れていっただけです。

その医師は、生きているとしても、今は現役ではないと思います。
ですが、病院自体はありますので、特定した、みたいなことになると怖いです。記事は消すかもしれません。マスコミに出ていたというのも、昔の話ですし、それほど有名ではないです。今、みなさんの頭に思い浮かぶ人たちではないです、きっと。

②の記事は、X(旧Twitter)等でのシェアは「しないで」いただけるとありがたいです。

だったら書くなよ、と思いますよね。
私もそう思いました。なんだろう。
返り血を浴びない程度の復讐をしたいのかしら?
これは立派な「感情」よね。

感情がうまれたことを喜ばしく思っています。


気持ちが落ち着いて、整理できてきました。


この内容は、もともと「あとがき」として書くつもりだったわけではありません。
なぜ突然書こうと思ったのか、よくわかりませんが、小さな復讐心が奥底にあったのかもしれません。だから「墓場まで持っていく」のが嫌だったのだと思います。

念のため書き添えると、私は一般的な年齢に、普通の自由な恋愛を体験してきました。この出来事によって、心に大きな傷を抱え……というわけではありません。

ただ、数年前にテレビで見た、下記のファッションショーの話が忘れられません。
それが今回の小説「残夢」の「最終回の藤岡のセリフ」に繋がっています。
そのことを、今になって思い出しましたので検索した記事を貼ります。


※ 「残夢」の一番のテーマは、「最終回の藤岡のセリフ」という訳ではありません。あのセリフを言いたくて「残夢」を書き始めた、書き続けた訳ではありません。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。