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とりとめもない話

息子が都内の安アパートで一人暮らしを始めた。
急遽、本人の希望で家を出ることになったのだ。

思えば昨年秋からの半年間、ずいぶんな急展開に振り回された。

いや思い返してみたら、もっと前から振り回されていた。18年以上。
振り回されてはいけないのに、親になりきれていない私は振り回されっぱなしで。

親がそれだから子もきっと大変だったはずだ。振り回されたは子どものほうだったのだろう。

そういや彼の小学校時の運動会でタイフーンって競技があって。(4人くらい並んで竹のような棒を横向きに持って走る競技。途中でパイロンをぐるりと回るときに、円の中心側となる人も大変だし、振り回される外側の人も大変)

夢中で写真を撮っていて、気づいたら彼はフレームから外れてて。レンズから目を離して肉眼で探すと、棒の端を掴んでいたはずの彼は白線外に振り飛ばされて、慌てて皆を追いかけていた。
なんてことを思い出したけども。

そんな感じで、お互いが同じ棒の端と端を必死に掴んで、お互い勢いよく回って、遠心力で遠くに振り飛ばされて、お互い何度も転んだ。

そんなどうしようもない親だった。

引越当日、新居で碌に働かねぇ息子にイライラし、でも「片付いた」とすぐ寝転がる姿と散らかったままの部屋を仁王立ちで見下ろし、たしかに実家の君の部屋よりマシだと頷き、狭いアパートに一泊し、公共料金の手続きのことで朝から喧嘩し、その後も買い出しや片付けでヘトヘトになり、なんとか作業を終えて(終えたということにして)、「帰る」と言うと「帰るの?」と少し寂しそうな声を出す彼に気づいたりした一日だった。

反対車線の上り渋滞を横目で見て、サービスエリアで一人ラーメンを啜り、高速をおり、毎日走る道まで戻ると、私には日常が戻ってきた。

自宅近くの信号待ちで、颯爽と目の前を自転車で走る青年が息子の姿に重なった。

息子がこの近所を自転車で走る姿を
私が見ることは、きっともうない。

そう思ったら急に涙が止まらなくなった。

できることはもっとあった。
してあげられることは、18年前から、もっともっとあったのに。
と思う。

そういや我が子と同じ年頃の子を見かけて涙することは以前もあった。
楽しそうに登下校する子を見て「なぜ、あの中にうちの子がいないんだろう」と。

決して順調ではない道のりだったし、
これからもどうなるのか分からない。

ただ、端と端をもって振り回されながら、どうにかして、この子が幸せになりますようにと、ずっと願ってきた。

その子が、難しいけれど進みたいと思える道を見つけて必死で歩いている。

親には散々振り回されて苦労したけど、でも今、幸せだから。ザマーミロ

と、いつか言ってくれたら嬉しいのだけど。
うまく走らせてあげられなくて申し訳ない。


いや社会人になったわけでは無いので、これから何年も親として金は出すワケなのだけど。

自転車の青年を見て、どうしても今の気持ちを書き留めておきたくなったので記しておく。

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