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小説/桃男(ももおとこ)《#白4企画》

お断り:一部グロテスクな表現があります

昔むかし或る処に、有望な殿方と美しい姫がいました。殿方は仕立てたばかりのスーツを着て高層ビルへ仕事に出掛け、それを見送った姫はタワマンの最上階にあるフィットネスクラブに向かいます。
ある日、姫がいつものようにエレベーターの上りボタンを「ピン、ポン」と押すと、開いたドアの中から、おおきな桃が――

むかしばなし「桃太郎」より

直径わずか数センチの丸い覗き窓から外をうかがう。
青々と茂る葉の隙間から射し込む光の中を、赤橙色の鳥たちがピーチクパーチクとステップ踏んで踊り合う。

うるせぇ。あっち行け。

鳥に向かって思いっきり吐いた臭い唾液は、覗き窓から外に出ることもなく内壁にあたってジワリと滲んで消えてゆく。
俺はそれを禍々しい目で見つめた。

よく肥えたあいつらは、どうせマヌケな罠にかかって串刺しにされるのが関の山だ。そんなことも知らずに頭ン中、お花畑か。せいぜい束の間の快楽を楽しめ。

赤橙色の一羽が、湿った地面に蠢くワームを素早くついばむ。何度か小刻みに頭を動かし、餌を咥え直して傍に居た鉄錆色の一羽と仲睦まじく飛んでゆく。暫し呆然としていた別の赤橙色は、誰かを探し求めるような超音波の鳴き声で別方向へ飛び立った。
自分が迷子だったことに今しがた気づき、慌てて母親を探し出す幼児おさなごのように。

俺は覗き窓から離れて操作盤を見た。
35°38'34.0"N 138°58'41.0"E
無意識に小さな舌打ちが出る。

8月24日午前零時に一斉に「それら」が放たれてから数時間が経過した。予定と違う方向へ転がっているようだ。こんな山中を彷徨い続けてもタワマンとやらには辿り着かない。母親に見つけてもらう前に、朽ちてしまう可能性もある。

俺は大きなため息をつき、両腕を枕にして寝転がった。
足を無理矢理に伸ばし、狭い空間を押し広げる。薄黄色のみずみずしい果肉が伸ばした足趾の間からにちゃりと飛び出る。強く押された繊維質は痣のような色に変わり、いずれどぎつい腐敗臭を帯びる。俺はそれを知っていた。

この甘ったるい匂いに囲まれるのは何度目だ。
目を瞑ると自然と睡魔が襲ってくる。本来は残らないはずの前世の記憶のようなものが、瞼の裏に広がりだす。

誰か、リセットボタンを押し忘れたか。
そんなものが、あるかどうかも知らないが。


微睡みの中でリセットボタンを押す誰かの手は、桃色の肌の女に変わる。馴染みの八百屋で閉店前に分けて貰ったという、あの時の傷んだ桃の色。
俺の隣で横たわる母親が、人差し指をピンと伸ばして天井に向ける。
「ピン、ポン」
毎晩のように聞かされた物語が始まっている。母親はか細い声で話を続ける。
「すると、一番左端のエレベーターの、開いたドアの中から、おおきな桃が――」
はやる気持ちをおさえきれずに俺が言う。
「ボクでしょ? ボクが出てきたんだよね」
母親の胸元にしがみつく。
「フフ。まだよ、慌てん坊ね」
そう言って微笑んだ母親の真っ赤な唇が、緩やかな速度で横に広がり続ける。頬を過ぎて耳たぶまで到達した艶やかな裂け目を不思議に思い見つめていると、今度は睫毛に隠れていた丸い眼球がカクカク震えていることに気がつく。
どうしたのと声を絞り出すと、目ん玉はグルグル回転し、天井と枕をそれぞれ見つめたところでピタリと動きを止めた。そして、カカカカカカカ……と音を立てて焦点を俺に合わせたと思うとポンポンッと続けて飛び出て、そのままドロリとぶら下がった。
あっと驚いて半身はんみのけぞる。
扉の壊れた鳥籠から青灰色の小鳥たちが、さえずりながらやってくる。ぶらぶら揺れる右目ん玉を仲睦まじく啄んで、ゆっくり転がる左目ん玉は糞まみれの鳥籠に持ち帰って。
大事そうに股の下で温め始めた。

いつも襖の穴から覗いて見ていた、あんなにも輝いていた母親の顔が見る影もなくなってしまって。
俺は途端に興味が失せた。

目覚めて再び丸い小窓から外を覗く。このままの方角に進んで国道まで出られるだろうか。
早く会いたい。柔肌の母親に。今度こそ俺が守る。俺が、あの鬼を成敗する。

ゴロン……ゴロン……

秒速0.5メートルで山を下っていると、何かが小枝を折りながら近づいてくる音がする。猛禽類が甲高い声をあげて飛び立ち、複数の羽根が降ってきて小窓を横切る。何かの音は確実にこちらに向かって来た。トラック? いや、まだ道はない。イノシシ? ここで喰われたらお終いだ。抵抗のしようもない。

ゴゴゴゴゴ、ゴンッ、ゴンッ

地響きのような唸り声。「それ」は木に当たっては大きく跳ね戻り、また別の木に当たって進んでいる。そして丑寅の方角から激しく俺に衝突してきた。
「アッ」
跳ね飛ばされた衝撃で、まだ触れていなかったみずみずしい果肉に顔が埋まる。
「ぶはっ」
慌てて大きく息を吸い、濡れた髪を顔に貼り付け、上下も分からないまま小窓から外を覗いた。
「おい! ふざけんな、待てッ」
叫んでも相手には届かない。待てと言われて止まれるやつじゃなかった。あいつも、桃だ。

衝突して進路が僅かに変わった。俺は天地が正常に戻ると相変わらず秒速0.5メートル程度で国道に向かって山を下りはじめる。あいつも徐々に態勢を持ち直すと先程と同じバウンドを始め、ピンボールさながらの勢いで山を下っていく。

どんな遺伝子を授かったらあんなに激しく山を下れるんだ。きっと粗暴なやつのをぶち込まれたに違いない。それとも一流アスリートの……。はたと気づいて声を出す。
「おい、そっちは」
あの方角に進めば川に落ちてしまう。大丈夫だろうか。そのままドンブラと流されたら親に拾われることなど無理だろう。多くの桃は毎月、誰かの意志とは無関係にどんどん放出され、無価値のまま水に流され捨てられると聞く。
まあ、いいか。それも運命だ。
気の毒だがライバルは少なくて良い。あんなせっかち野郎は鬼のいる島まで漂流して喰われちまえばいい。
上りエレベーターに乗るのは俺だ。

俺は再び寝転がって目を瞑る。
エレベーター、とは何だったか。話に聞くだけで見たことはない。

「大きくなったら鬼退治するのよ」
「ぼく、こわい」
「怖いなら退治しなさい」
「まけたらどうなるの」
「負けたらお前が死ぬのよ」
「しにたくない」
「だったら鬼に勝ちなさい」
「できないよ」
「犬、猿、雉を利用なさい」
「できるかな」
「桃太郎なら刀を使いなさい」
「どうやって」
「滅多矢鱈に振り回しなさい」
「わかったよ」
「お母さんを守ってちょうだい」
「まもる?」
「そう。この世の全ての鬼から」
「ぼく、がんばる」

物語のラストでいつも約束させられた。俺は鬼退治をするために拾われて、育てられた。母親に感謝しなければ、恩返しをしなければと、鬼退治の機会をうかがっていた。

唐突にその日は訪れた。
箪笥の上に座る猿が、シンバルを叩いてGOサインを出す。
友だちだった押入れのポチは、鬼に噛み付く歯を持たなかったので、俺は一人で襖から飛び出た。
ベランダにやってくる鳥は糞を撒くだけで何の力にもならなかったが、俺は刀を振り回した。
夢中で鬼の背中を切り裂き続け、箪笥から落ちた猿は陽に焼けた畳の上でひたすらシンバルを叩き続けた。

俺は戦う。負けないために。死なないために。刀をメッタヤタラに振り続ける。

青鬼が虎のパンツを履き、赤鬼の下から這い出して必死の形相で逃げていく。俺は赤鬼の皮を切り裂き続ける。中の母親を助け出せ。俺の中の誰かが叫ぶ。赤鬼の断末魔が、か細くなって途切れて消えても、猿はシンバルを叩き続けた。

赤鬼はもういい。がむしゃらに振り回した腕が痛い。俺は青鬼を追って玄関に向かったが、いるわけがなかった。強く握りしめていた刀を手から離すのに時間がかかった。郵便受けから外を覗く。赤の上に青を重ねた、薄明の空が美しかった。

疲れ果てながらも初めて開けたアパートの扉は思ったよりも軽かった。点滅する外灯に群がる虫たちも祝福するように飛び跳ねている。
鬼退治に成功した俺は自信に満ち溢れていた。叫び出したい気分だった。何処までも走ってみようと思った。
だが、初めて目にする下り階段に怖気づいた。どうやって降りればいいのだろう。少し怖くて足が震えた。自分のつけた19.5センチの赤い足跡を辿って、また同じ扉を開けた。
部屋に居るはずの母親を探しに。


むせ返りそうな甘い匂いで目が覚めた。零れた涙は茶色い果肉に滲んで消えた。あの時もたしか、リセットボタンは自分で押したのだろう。
俺はまた、同じ速度で山を下る。
見たことのない上りエレベータを探し求めて。何度でも、今度こそ鬼を退治すると心に決めて。


(了)

こちらの企画に参加しています。
白鉛筆さん、4周年おめでとうございます🎉

「豆島は複数作書く」風なコメントを残していましたが、この一作のみとなります。

個性豊かなnoterの皆様が、一斉にそれを書いたとき、どのような色の違いが出るのだろう

白鉛筆さんの記事より

白鉛筆さんの企画意図を思うと、豆島はこの一本で充分だと思いました。私らしい一本になりました。

本日は、他の方の作品を桃サワー片手に楽しみます。

#単に複数書けなかった説
#箱男はこのような話ではありません

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 サポートしていただいた分は、創作活動に励んでいらっしゃる他の方に還元します。