映画「ヤジと民主主義」


directed by 山崎裕侍
narrator:落合恵子
documentary film
2019年7月15日、当時の首相の安倍氏が街頭演説を始めた。そこへ「安倍やメロー!」という男性の声が響き渡った。ヤジだ。政権批判の声をあげた直後、突如数名の警察官が男性を取り囲み、その場から排除。一瞬の出来事だった。同じ頃、増税反対を声をあげて訴えた女性も、警察官に囲まれ引きずられるように移動させられた。その後も女性が再び演説に近寄らないようにか、現場を離れた後も警察官にしつこくつきまとわれたりした。
 声を出して政権に訴えることに対して、どういう法的根拠があり、警察は「排除」する行動をとったのか、この日の小さな出来事が、警察組織の問題を浮き彫りにした。訴訟行動に移行していくさなか、あの大きな悲劇・2022年9月21日、安倍氏狙撃事件が起きてしまう。また、2023年にも岸田首相に爆発物を投げつける事件も起きてしまい、街頭演説の場での警察の警備行動を批判することも難しくなっていく・・・

北海道放送報道部ヤジ排除問題取材班が追求し続ける4年間に渡る記録。
趣旨としては、要するに、大物政治家とか大臣とか首相の演説を前に、聴衆はただ大人しく黙って聞いてるだけ・・・を是として、それに対して抗議の声をあげたら「罪」扱いされてしまうのはおかしいだろ!ってことなんだろうけど・・・
  でもね、「安倍ヤメロ!」って怒鳴るだけを繰り返すのは、それって、言葉の暴力行為じゃないのか?って思う。
 例えば、その演説されてる内容に、「ちゃんと実行しろよ」とか、逆に「そんな政策はよくない」とか、そういう意見を言う行為すら排除する・・・じゃ、まるでロシアとか? 北朝鮮とか? の独裁者の社会だって、民主主義ではないだろっていう話なら大いに納得だ。
ここで取り上げられている、何名かの事例で、主張することを掲げたプラカードとか、意見をちゃんと述べようとした女性とかは、高裁でも認められた。

でも、ただ大声で「安倍ヤメロ!」って喚き続けるのは、どうなんだろう??
それは話を聞きたい人だって同じ場所にいるという公共の路上演説の場では、騒音だと思う。話を聞きたい人にとっては、ただ同じ言葉を怒鳴り続ける行為は「妨害」「騒音」だと感じちゃうんだけどなぁ。
私は、この「安倍ヤメろ!」を繰り返すだけの行為、民主主義の一つだとは思えないし、共感できなかったな。

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