映画「裸足になって」


原題:Houria
directed by ムニア・メドゥール
starring : リナ・タードリ、ラシダ・ブラクニ、メディア・カシ

内戦の傷が未だ色濃く残るアルジェリアで暮らす少女・フーリア(リナ・タードリ)の夢はバレエダンサーになることだった。毎日、潰れたマメを絆創膏で巻いてトゥ・シューズを履く・・・レッスンにつぐレッスン・・・いよいよ、有名な振付師が見に来るという晴れ舞台の日の前日・・・見知らぬ男に階段から突き落とされ大けがを負ってしまう。彼女は踊ることも、声を出すこともできなくなってしまう。
失意の中、リハビリに励むフーリアは心に傷を抱える聾者の女性たちと出会う。フーリアは彼女たちにダンスを教えていく中、再び生きる意味を見出していく。

後から知ったのだが、スタッフロールを見ていると、「あれ? もしかして?」という名がチラッと見えて調べてみると・・・
あの「CODA あいのうた」で助演男優賞を獲得した、トロイ・コッツァーさんの名前があったのだ。
そうか・・・通底する「静かな、そして芯の強い、腹のすわった覚悟と愛情」・・・が沁み通るような作品だった。

アルジェリアの複雑で、理不尽に思える状況・・・フーリアを突き飛ばした男性は分かっているのに、テロのどうとか、恩赦がどうとか・・・・なぜだか理不尽にも彼は野放し状態なのだ。警察もフーリアや母親の訴えを真面目にとりあってくれない・・・
そんな中で我慢していかなくちゃいけないのか?
いや、自分たちなりの方法で、伝えることができるはず・・・
それは怒りも、叫びも、癒しも・・・心の中にたまっている澱んだものを解放すること・・・
フーリアの親友、海を渡って別の社会で生きていくことを夢みた彼女も、不法な渡航の果てに水難事故のために夢を果たせず亡くなってしまう・・・
理不尽で、誰かに、何かにこの怒りを・・・叫びたい・・・
吐き出すだけではなく、何かそこから前を向いていきたい・・・
裸足になって、踊り出す・・・
衣装がなければカーテンを使って衣装を作り、レッスン場を閉め出されたら、家の屋上で・・・
フーリアは、聾者の使う手話を振り付けに取り入れて、自らを解放する・・・
怒りだけではなく、そこには祈りも込められている・・・ってところが、何か温かく優しいものが底にあるんだなぁと感じた。

彼女らの活動は、自分たちの解放であって、社会に対して理不尽さを訴えようとかウエーブを起こそうとかそこまでは至らない、そこまでは考えてないのかも。
ただ、黙して耐えることばかりを要求されている社会の中であって、自らを解放するすべを見つけた彼女たちにエールを送りたい。そんな気持ちになった。

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