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アーティスト・トーク 宮永愛子・森幹浩 「展覧会 詩(うた)を包む」@富山市ガラス美術館キラリ


展覧会自体は12月のうちに鑑賞していたけど、アーティストトークは展覧会のチケットも提示しなくていい、全く無料で行われるとのことで、行って来ました。
これも、「能登地震の影響・被害のために金沢21世紀美術館が休館中」だったから、行くことができました。土曜日だったので、夫のアッシーで行くことができました。トークイベント中は館内には図書館も併設されてるので、夫も「本読んでくるわ」ということで、互いに「相手を気にせず」に没頭できたから、よかったなぁ。

さて・・・事前申込不要、無料ってことで、どんなふうに人が集まってくるのかなぁって思ってたけど、すごく盛況でした。
私はかなり早くに会場入りしていたのもあって、最前列正面にしっかり陣取ってしまいました。

  何度か直接お話ししたこともあるし、まるびぃでもアーティストトークでサインもいただいてますし、何度かまるびぃで仕事中にも来館されたときは会釈とか交わしてることもあり、私は普段マスクしてないし、おぼえてくださってるかなぁ?って思って、登壇されるとき、目線合わせたんですけど、おぼえてくださってました。会釈に応じてくださったので・・・

さて、宮永愛子さんご自身は京都のお生まれですが、ご親族が富山にご縁が深く、富山の置き薬のシステムについてご興味があり、いろいろリサーチもされていて・・・各家庭に毎年訪れて、使った分だけの代金を受け取るというシステム・・・それはとても「人と人との信用」に重きを置いていて、そこには単に「薬を売り買いする」以外に濃密なコミュニケーションがあったのではないかと。そして、ご自身の家にある、薬の箱や、引き出しなどを見たときに感じた、その道具を間にして行われた人と人とのやりとりが、ご自身がずっと作品制作の根底に置いてらっしゃる「手紙」のように感じられたと。
宮永さんの作品の代表的なものに、ナフタリンを素材にして、作った形が空気中に昇華して、それがガラスケースにもう一度再結晶して雪のように、糸くずのように付着していく形状や姿のものがあります。
  儚い・・・消えていく・・・というふうに捉えがちで、実際、ずっと前に大阪国立国際の展覧会で見た作品は、実際、形が消えてしまうように、剥き出しの展示もあったはず・・・でも、ガラスケース内に収められていると、ガラスに再結晶という形で、結局、「何も消えない・・・形状が変わるだけ」という、物の強さを改めて印象付けるものも多いです。

また、樹脂の中に封じ込めてずっと形を変えないようにしているけど、実は一箇所だけ空気が入る道があり、そこにシールで封印していて、誰かがそれを外せば、空気が入って、ナフタリンの作品がどんどん形を失ってしまう・・・という「Waiting for awake」のシリーズについても、どうやって樹脂を流しているのか・・・横から見ると層になっているのは知ってましたが、とても泡がたくさん、そのまんま固まってるんですけど、それは透明性とかは重視してなくて、そのときの気泡は、その樹脂を施したときの空気を封じ込めたもので、層ごとに時間が違ってるので、その気泡の内包してる「記憶」は全部違ってると・・・「たくさんの時間が眠っている」とおっしゃってましたね。それってとても素敵で詩的で物語だなぁ。

また、今回は、「展示台」そのものを作品として展示している・・・完全な脇役である「展示台」を展示構成の主役級として扱っている。またご実家に置きっぱなしになってた石膏型も、そこに入れて作った大黒様とかもあるんだけど、作品を作ったら用がなくなる「型」も展示として構成している。
  なるほど、展覧会のタイトルが「詩を包む」となってるのは、こういう包むという言葉で「型枠」とか「展示台」を使っているってこともあるんだろうなぁ。

 また、今回初めてお話を伺う森先生ですが、富山の売薬文化について、また、北前船が伝えていったこと、外へ外へと海を渡って伝わってきたこと、外界とのやりとりについて、いろいろお話が展開していきました。

オーディエンスは皆さん、とても熱心な眼差しでした。
また、この日は、本来なら出来上がっているはずの展覧会図録が諸々の事情で遅れていて、申込んだら、作家さんのサインを入れてくださるとのこと・・・

以前、まるびぃでトークイベントがあったとき、大阪の国立国際美術館の図録を持っていった私は、サインを入れていただいてます。鏡文字なんですよ・・・
今回の展覧会図録はもっともっとガラスを多用されているので楽しみな図録です。さっそく申し込みました。

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