映画「正義の行方」

directed by 木寺一孝

documentary film

1992年に福岡県飯塚市で2人の小学生女児が行方不明となり、甘木市の山中で他殺体となって発見された飯塚事件。2年後に久間三千年(くま・みちとし)が逮捕された。DNA鑑定により犯人とされ、裁判により死刑判決を受け、そのわずか2年後の2008年、刑が執行された。本人は処刑日当日の朝まで否認していた。執行の翌年に冤罪を訴える再審請求がなされ、事件の余波は今も続いている。弁護士、警察官、新聞記者、久間三千年の妻、それぞれの立場から語られることを通じて、事件の全体像を描きながら、「真実」と「正義」とは一体どこへ向かうのかを問う。

当時の「DNA鑑定」は「鑑定方法」によって精度がまちまちだった・・・にも関わらず、死刑判決確定わずか2年で刑が執行されてしまった・・・
死刑判決確定後、何年も何十年も刑が執行されず、ずっと最新請求されている大きな事件もあるのに・・・なぜ、この飯塚事件は刑の執行がこんなに早かったのか・・・
冤罪だったとしたら、死刑執行が「国の殺人」になってしまう・・・そんな「再審」認められることはないだろう・・・でも、真実を明らかにするのが「司法」ではないのか・・・
すごく重い内容で、でも、最後の最後、警察・検察側の方の意見はすごく印象に残った。

「飯塚事件の何年か前に、もう一つ、女児行方不明事件「アイコちゃん事件」が起きていた。その事件関係者・事情聴取した人物の中に、久間三千年がいた。 彼の死刑執行後、この類似事件はこの場所で起きていない」

何度も何度も、女の子二人が最後に目撃された、通学途中の道が映される。
30年前と全く風景が変わっていない。
金沢での30年の暮らしを思った・・・田んぼが減って道が新しくなって、電柱が結構減った。
息子たちが通った小学校周辺、ずいぶん風景が変わった。
それを思うと、事件から30年たっても、女の子二人が消えた三叉路は全く同じ風景だった。
かつて筑豊炭田で栄えた街だが、すっかり斜陽になって、人の動きも街の発達も止まっている地方の街・・・
そこで「(その男がいなくなって)以後、類似事件は起きていない」という言葉は重かった。

それでも、弁護側から捜査情報、鑑定方法についての疑念がさまざまに出てくると、これは「最初から決めつけていて、杜撰ではなかったか」と思えてしまう。
もし、犯人が彼ではなかったら・・・もはや刑が執行されてしまってるのだ。
こんなに重い「正義の行方」は・・・この事件だけ・・・だったろうか? 他にも実はたくさんあったのでは? 背筋がぞくっとした。

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