映画「福田村事件」


directed by 森 達也
Starring:井浦新、田中麗奈、永山瑛太、東出昌大、コムアイ、木竜麻生、松浦祐也、向里緒香、杉田雷麟、カトウシンスケ、ピエール瀧、水道橋博士、豊原功補、柄本明

大正デモクラシーの喧騒の裏で、政府の失政を隠すように、新聞などはこぞって「いずれは社会主義者か朝鮮人か、はたまた不定の輩の仕業で・・・いろいろやばいことが・・・」と世論を煽り、市民の不安と恐怖は徐々に高まっていた。全国水平社運動や、社会主義者の活動もその不安に拍車をかけつつあった。
 朝鮮での日本軍による虐殺事件を目撃したことで、妻との間もうまく行かず、教職の仕事も続けることができなくなった澤田(井浦新)は、妻の静子(田中麗奈)を伴って、故郷の福田村に帰ってきた。同じ頃、新介(永山瑛太)率いる讃岐薬売りの行商団は関東にやってきた。静子は腑抜けのようになってしまった夫に苛立ち、村の中で居場所がないので、川の渡し船の船頭(東出昌大)と親しくなる。
  9月1日、関東を襲った大きな地震。その混乱の中で様々な流言飛語が飛び交い、朝鮮人の陰謀だなどの噂が瞬く間に広がり、戒厳令も施行された。
 千葉ののどかな村だった福田村にもその波は押し寄せ、元軍人たちは強い言葉で人々を煽り、自警団が作られ、村人たちは浮き足立つ。村長(豊原功補)は情報の真偽を確かめるために躍起になり、人々に「落ち着け」と諭したが、一度火のついた恐怖心、猜疑心は、何かのきっかけで一気に火がつく状態になっていた。そんな中、薬の行商団は福田村の渡し船のところで、些細なことで揉める。それを一大事とみた誰かが鳴らした半鐘が、くすぶっていた人々の心に火をつけてしまった・・・

関東大震災から100年、9月にこの福田村事件のことをNHKのドキュメンタリー番組で取り上げていた。
その後、この映画が上映されると知って、興味をもっていました。
生き残った人もなかなか重い口を開かず、実際に事件を起こして逮捕された人たちもそのすぐ後に「大正天皇崩御」の恩赦で釈放されていた。実際起きた事件だったが、歴史の中に埋もれていた・・・という福田村事件。
扇動したのは確かに元軍人で自警団を指導した者たちだったというが、それに従ったのは、村の人間ほとんどでその人数は逮捕者の数名をはるかに超える人数だったという。集団心理の怖さ、よそものを危険視する風潮・・・それは21世紀の今に至っても、さほど変わっていない。

ただ、この映画、私てきにはすごく違和感だらけだった。
まず、讃岐薬売りの行商団が讃岐弁で話していたのが「聞き取れない言葉」と村人に受け止められ、イコール・朝鮮人だ!になってしまって騒動になった・・・という記録だが、瑛太さんたちの行商団の面々はほとんど標準語っぽくて、讃岐弁を強調はしていなかった。
   また、地震が起きるのは、映画の後半のほんの1分ぐらいの描写で終わってしまっていて、福田村事件の騒動が起きるのも後半の後半・・・だ。
むしろ、多分、この映画のオリジナルキャラとして、静子夫妻の話、船頭の話、戦争で夫を取られて、帰ってこない夫を村で待つ妻の孤独・・・という、残された女たちの孤独を描くのに時間を費やしていたこと・・・
「体を持て余して、他の男に通じてしまう人妻」の図式が繰り返され、少々、辟易した。

そして真実を書きたいという女性記者と、それを抑えにかかる編集者の話・・・
ただね〜、この新聞社、地震の後も「何事も起きなかったかのように普通に建物が建ってて、物も散乱してない」っていう整理整頓された部屋・・・の違和感が残ってしまって・・・

でも、結局、監督は「関東大震災の被害」とか「讃岐弁が理解されずに誤解されたことが悲劇の原因」とかに焦点を当てていない・・・ということだ。
むしろ、人々の不安感、孤独感が、ある方向に向けられたとき、一気に火がついて集団ヒステリー状態に発展してしまう群集心理、そして、それに流されやすい我々日本人の現実、その中にあって呆然としてしまう「何もできない人」・・・
ほとんど大半の人があてはまる「普通の人々」が起こしてしまうこと・・・に焦点を当てているのかなぁと。
そして、惨劇になってしまったとき、太鼓のドンドコドンという音、まるで祭囃子みたいなBGMが入ってくる・・・「すべてが祭りの状態になってしまう」トランス状態・・・祭って、中にいる人にとっては「それこそが生きがい」的な高揚感の中にいるけど、外から見ている人にとってはどうなんだろうか?

事が起きたとき、呆然と棒立ちになってしまう・・・あの妙に間の抜けた、ぽかんとした、いわゆる「あほヅラ」状態の主人公たち・・・が、すごくリアルだった。

21世紀の今だって、コロナ禍だったとき、私たちはどういう行動をしていただろうか。県外ナンバーの車を「来るな!」といったり、ノーマスクの人を睨んだり、揶揄したり・・
結局「みんなと一緒で安心、よそものはこわい」という根っこはちっとも変わってない。
あの「興奮のるつぼ」状態、祭り状態にみんながなってしまったとき・・・「これは間違ってる」とわかっているのに言えない状態・・・あなたはどうする?

逃げるぞ!と逃げられるかな。
逃げるは恥だが役に立つ・・・という思いが頭に浮かぶかな。

東出昌大さん、ピエール瀧さん、水道橋博士さん
この核となる人物を演じた役者さんは、最近、いろいろと罪を犯したり、言動が物議をかもしたり、道徳的に世間から非難されたり・・・があった方々です。
三人そろえて起用する・・・ってのも、何か森達也監督の「らしさ」を感じたりしますね。

いろいろ考えさせられる映画でした。
「広坂シネマクラブ」でも、「映画館で映画を見てガチで話そう」という試みをやってみました。「ゆるっと話そう」だと探り探りの優等生発言になりがちだけど、もう少し突っ込んで本音で話せる仲間同士だったら、もっとガチで話してみようよ・・・という企画でした。
なかなか中身の濃いトークができたかなぁと思います。
もっとバチバチと対立構造に・・・はならなかったけど、まぁ何も喧嘩したいわけじゃないからね。

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