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Z世代の私が何故中森明菜に惹かれるのか考えてみた part1


1年以上前に更新して以来屍と化していたnoteの存在をふと思い出し、再び筆を取ってみる。(前回は敬語だった気がするけどキングオブ飽き性のため今回はである調での文章となる。異論は受け付けない。)

 遡ること2022年の初夏、私はなにをきっかけとしたのか突如昭和歌謡にハマり始めた。確か松田聖子のSeiko Storyというアルバムに入ったSweet Memoriesを聞いた事が事の発端だったようなそうでないような気がするが、何はともあれあの時のショックは比較的ゆるやか、しかしジワジワと心の奥底を蝕んでいくような凄まじい衝撃があったのだ。

 元々アメリカの40〜80sのオールドファッションな音楽や映画および時代の纏う雰囲気そのものの大ファンであったため、月1くらいの頻度で良作を漁っては趣味ノートに自分の感想をつらつらと書き溜めるといった非常に趣味へ奔放した生活を送っていたが、日本の歌謡事情については歌謡のかの字も知らないほど無知を極めていた。

 それでも母はバリキャリのバブル通過世代のため、オメガトライブやユーミンなどがたまに車にかかっていればそれはそれとして楽しく聞いていた。が、それ程度に留まっていたのである。松田聖子を聞くまでは。

 ここまで書いていて「この記事って中森明菜云々の話じゃなかったっけ?」と至極真っ当な疑問が矢の如く飛んでくる気がするが、自身の昭和ファンとしての経緯を辿る懐古劇にもう少々お付き合い願いたい。

 今思えば、私が松田聖子を機に昭和歌謡の世界へとずぶずぶハマったのは、大変失礼ながら松田聖子彼女自身のどうこうよりも(もちろん彼女は大好きである。Carribean WindやCanaryなどは聞くだけで80年代に飛び戻って行くような感覚に陥れて楽しい)彼女の活躍の背景に確かに存在した、今とは全く異なる形を成す〝日本〟の姿を〝松田聖子〟を通して初めて認識し、これまでにない魅了感を覚えたからに他ならないと感じる。

 ぐるんぐるんのぶりんぶりんな聖子ちゃんヘア、その横で茶色のグラスを深く掛けるマネージャーらしきオジ、セットや衣装の圧倒的手作り感、有線マイク、後ろにズラっと並んだ生演奏隊、聖子ちゃんヘアとイカつい刈り上げで構成された親衛隊およびオーディエンス…聖子ちゃんの写真や動画にふと映り込む全ての〝日常〟がZ世代の私にとってはもれなく目新しく非現実であり、同じ国のカルチャーを持つはずの私が〝違う時代である〟事を理由に聞いたこともない国の文化に触れたときのような、ある意味〝異文化〟を認識したのは、他でもない当時のクイーンであった松田聖子のお陰であるといえる。

 そこで話を本題の中森明菜に持っていきたい。
大前提として、私は現在「好きなアーティストは?」といった類の全ての質問に対して「中森明菜」と食い気味に答えるくらいにはファンであるものの、学生の圧倒的に乏しい財力のせいでレコードやCDといったグッズは殆ど持っていない上まさかのファンクラブすらも未入会、毎日ひたすらTwitterとYouTubeの通知を待ち望んでいるのみという日本でも上位に食い込むレベルの貧きファンであることを留意されたい。それでも明菜ちゃんに対する想いは本物である。

 私が最初に明菜ちゃんを認識したのはTattoの夜ヒットがふとYouTubeに流れてきたことだった(恐らくというか絶対無断転載であることは今だけ目をお瞑り頂きたい)。これが無かったら私は中森明菜のファンでは無かったと言っても過言ではない。何に魅了されたってその迫力、そしてとても35年前には見えないファッショナブルなスタイリングである。

 そう、私の見る中森明菜の魅力はこの圧倒的〝古臭くなさ〟にあり、その時代の流行をもはや流行という垣根を超えて完全に自分のものにしているのか、それとも当時の流行を完全に無視した上での自己スタイリングが故のあのフィットさなのか、と頭を悩ませるほどに不思議に確立したあの雰囲気と、昭和の女性特有の大人び方を共存している部分にあるのである。(この魅力は歌手としてよりアーティストおよびエンターテイナーとしての魅力としてカウントされたいので、今はその至高な歌のスキルには全く言及していない)

 もちろん古(いにしえ)のアメリカインディーズファンとしてはその古臭さこそが良さであり、それを感じることでファンとしてのアイデンティティを保っていると言っても過言ではないのだが、なんだか中森さんはその域を悠に超越している気がしてならない。(だからニッチなファンが多いのか?)

 私は最初に見た記念すべき初Tattoのステージでは、舞台セットと衣装の圧倒的ギラギラな華やかさ、巷で聞いた噂のソバージュ、耽美なお顔、今の若者があんまりしなそうな大人びた歌い方およびビブラート、ミュージカル女優のような豊かな表情、上品なセクシーさ、圧倒的迫力、と自分の好みどストレート要素が積もりに積もって山となり、その日以降私は中森明菜ファン路線へとすっかり歩みを進めることとなった。


(続く)


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