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変わるものと変わらないもの

「とにかく時代は変わりつつある」 ボブ・ディラン

「時代は少しも変わらないと思う。一種のあほらしい感じである」 太宰治

これは伊坂幸太郎「魔王」の冒頭部分であるが、私は変わることも変わらないこともどちらも難しく、どちらも良い面悪い面を持つと考えている。

変わってしまった良いものもあれば、変わってよかった悪いものもある。

あるアーティストのインタビューで「少年ナイフ」というバンドが出てきたので、試しに聴いてみる。

聴く前私は「少年ナイフ」なんてバンド名だからさぞ尖ったパンクバンドだろうなぁと思ったが実際はまるで違った。

2023年の最新アルバム「OUR BEST PLACE」のバームクーヘンの話という曲から歌詞を引用させてもらおう。

君は聴いたことがあるか?

バームクーヘンの話を

君は見たことがあるか?

バウムクーヘンのかたちを

ドイツの人が考えて

日本で人気が出たお菓子

一口食べたらわかるだろ

幸せな気分になるのさ


???????????????????

なんだこれは?

私は一瞬思考停止状態に陥った。

そもそもアーティスト写真が女性だった時点でびっくりしたのに、いざ肝心の曲を聴いてみたら内容がこれ。

でバンド名が「少年ナイフ」。

少年ナイフといったら私が連想するのは「THE BLUE HEARTS」である。

ブルーハーツの「少年の詩」という曲に

そしてナイフを持って、立ってた

という歌詞がある。

「少年ナイフ」というバンド名はおそらくそこからの引用だろうと思い込み、その先入観からパンクをイメージして聴いた私の脳は殴打された。

最新曲がこれだとして昔の曲はどうなのかと遡ってみると、ちょうど今から40年前の1983年、「BURNING FARM」というアルバムがあったので聴いてみる。

なるほど、「燃え上がる農場」これはなかなか尖ったタイトルじゃあないか。

ジョージオーウェルの「動物農園」に影響を受けたか、あるいはthe smithの「meat is murder」のように食肉を批判した音楽か。

そんな事を考えながら私は「BURNING FARM」の一曲目を聴いた。

ミラクルWORK

ミラクルPLAY

ミラクルSPEAKIN'!

ミラクルDRUG

ミラクルWOMAN

ミラクルWOMAN


いやなんも変わってねえええええええええええええええ!!!!!!!!!

なんだこの中身のない音楽は!?

歌詞も曲調も、演奏技術さえ何も進化していない!!

もうこれ諸行無常の反証だろ…

いや失礼極まりないことはわかっているが…

しかし私はこのバンドの音楽を聴いて感動してしまった。

40年間何もスタイルを変えず音楽を奏で続けているバンドがいるんだと思うとえも言われぬ感情が溢れ、私は感慨深い気持ちになった。

そしてなんだかバカらしくなっちゃった。

もう成長とか増長とかどうでもいいんだなって。
(後述するジークの思想である)

対して!

変わったものといえば〜〜〜〜〜??

suzukaの眉毛でござんすね。

君は聴いたことがあるか?

suzukaの眉毛の話を

君は見たことがあるか?

suzukaの眉毛のかたちを

そう、彼女は自らの眉毛を剃ってしまったのであります。

うそーーーーーーーーーーん……

誇張抜きに私は、顔の中で一番大事なパーツは眉毛だと思ってる。

世の女性は眉毛が濃い方が美しいと思っているが為にわざわざ眉毛を自分で書くのだ。

中には眉毛をフル剃りしたことで美人が際立つとか、かっこよくなったとかいう意見が散見されるが、、、

限度があんだろ!!!!!

いくら傾城の美女といえど、眉なしはアカンやろ、、、

青春を切り裂くのはいいけど、眉毛切り裂いてどうするよ、、、

ああもうやるせない。

私は寛容な男でありますからね、たとえ刺青を入れようと、頭を丸刈りにしようと歓迎しますよ。

私はsuzukaの意思であれば全てを歓迎するつもりだった。

だが眉毛フル剃りは看過しきれないよ〜〜、、

あんなに美しかった眉毛がもうない、、

はあ〜〜、、

今はただ、早くsuzukaの眉毛が生えることを待つのみであります。

さてリーダーズ、NHKの「おかえり音楽室」という番組に出ていましたね。

すごくいい番組だったよね。

suzukaの眉毛もあったし(これ大事)。

「こんなに有名になるとは」とおばちゃん。

「まだまだこれから世界に行くわよ」とsuzuka。

そうか、あなたは海を越えるのか。

すごいな。

心底すごいと思うよ。

私は海が嫌いだ。

何故なら怖いから。

海の向こうには自分の思いもよらないような人がいっぱいいて、いかに自分がちっぽけな存在か思い知らされる。

でもあなたはその身一つで、世界と闘っていくのですね。

私は「おかえり音楽室」を観て思いました。

「いいなぁ〜」と。

「うしおととら」の野村のようにね。

いやほんとsuzukaさんはうしおのようですな。

中学校の吹奏楽部、あの音楽室が私の原点だとしたら、私はまだそこに囚われている。

つまり私は未だ「変わらないもの」なのだ。

いや、「変われないもの」と言った方が正しいかもしれない。

私の場合、さしずめ「いってらっしゃい音楽室」だろう。

ミカサーーーーーーーーーーーーーーーー!!

俺にいってらっしゃいと言ってくれーーー!!

俺を解放してくれーーーーーーーーーーー!!

ええ、話は変わりまして「進撃の巨人」がとうとう終わりましたね。

とりあえず感想とかはまだ言えないかな。

なにせ難解な作品なもので、咀嚼しきれてない部分もたくさんあるので。

まあでもジークとアルミンの会話は特に印象に残ったなぁ。

ジークはただ増える為に踊らされる日々に憔悴しており、欲に振り回されて生きるのは苦痛でしかないという仏教的な考えで安楽死計画を遂行しようとした。

そんなジークはアルミンとの対話の中で、「僕はみんなとかけっこをする為に生まれてきたんじゃないかと思った」という言葉に衝撃を受ける。

これはただありのままの時間を生きるという人の当たり前の営みを忘れ、必要性のないものを排除された現代社会で生きる我々にも刺さる言葉ではないだろうか。

この言葉を聞きジークは「意味」や「価値」の呪縛から解放され、素直に楽しかった時間を認め、生まれた事に感謝をする。

だがこんな喜びも安寧ありき。

だからこそ私たちは戦わなければならない。

これ以上戦わない為に。

amazarashiの「無題」という曲の中に

変わってくのはいつも風景

という歌詞がある。

変わりゆく風景の中で、私達は何と戦い何を得るのか。

何を変えて何を変えないのか。

願わくば私は音楽で、地平を平らにしてみたい。

世界が変われば、きっと私も変われるだろうから。


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