いじめられる側にも原因があるって話

題名見て脊髄反射で怒りが湧いた、反論が湧いた人も多いのでは。
私はこれがなんらおかしいことではないと思っている。
というのも、そんなの当たり前だからだ。
いじめという名の人間同士のいざこざやら、犯罪行為やらが完全に一方的なことの方が少ないだろう。
通り魔の如く無差別に他人を刺したならいざ知らず、狭い狭い人間関係で起こりがちないじめに関しては双方向に何かがあるだろう。

例えば、極端に空気が読めない、人と違う行動をとってしまう人間がいたとする。
その人間がいじめられたとしたら、間違いなく原因は「極端に空気が読めないこと」「人と違う行動をとること」なのだ。

ただ、誤解しないでほしいのは「原因がある人間=悪い」わけではないのだ。
原因と聞いた瞬間にそいつが悪い、そいつのせいで、と思ってしまうから、「いじめられる方が悪い」と「いじめられた方も原因がある」を混同する人間が出てくるんだろう。
原因と、誰が悪いかは全くの別件である。
それはそれ、これはこれ。

信号無視をした歩行者の行動が原因だったとて、車で轢いたら車が悪いというのは誰でもわかるのに、いじめになった途端わからなくなる人が多い。

あとね、いじめって言葉便利に使いすぎ。
範囲が広すぎるから余計混乱するんだ。
自業自得のハブられも、犯罪行為にも使えば人によって感覚の差が出て当たり前だ。


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