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異端を楽しむ心

みなさん、ご機嫌よう。

今回は時代の変遷へんせんのお話しです。


1.正統と異端

世界史の本を紐解きますと、異端者が登場し、民衆の支持を得たときに時代が変遷へんせんする様が描き出されています。

それと同時に、自身の権力を保持せんがために、異端者を弾圧してきた様子も描き出されています。

歴史とは、端的にいえば、正統と異端がぶつかり合い、その争いに勝った方が、新たな正統になるという出来事の繰り返しなわけです。

2.現代日本における自由

現代の日本におきましても、憲法において権利と自由が明記されております。

政治やビジネスの世界においても、時代を動かそうといろいろと活動されてきた人たちがたくさんいます。

しかしながら、少しでもズレた言動を取ると、新聞やテレビなどのマスコミが「これはけしからん!そのような発言や行動は取り締まるべきだ!」などと御託を並べてくるわけです。

以前なら、SNS上においてその異端性を面白がる風潮があったのですが、最近では、マスコミに歩調を合わせるような、ある意味常識的な発言が増えてきたように見受けられます。

つまり、異端者は徹底的に叩かれ、社会から排除されていくわけです。

表向き自由が保障されている「不自由」な社会がそこに現前として存在しているわけです。

「多様性」という言葉が誕生しましたが、実質的には一つの論調が社会を支配しているわけです。

3.一元化が進む社会

政治においても、ビジネスにおいても、あるいはエンタメや文化においても、その一元化が進んでいるように見えるのは、私だけでしょうか?

「右向け右」を伝統的な風潮とする日本人ですから、異端者は常に嫌われてきた歴史があります。

世界史と日本史の違いはそこにあるわけです。

ですが、時代はグローバルとAIを基軸に動いています。

いつまでも、日本独自のスタイルばかりにこだわり続けるわけにはいかないのです。ビジネス界隈では「ガラパゴス現象」なる言葉すら生まれました。

このままではますます日本は没落の一途をたどるばかりです。

科学の世界には、イグ・ノーベル賞と呼ばれる、実用性のまったくない、ヘンな研究を表彰する賞があります。

異端を楽しむ心があってこそ、時代にゆとりが生まれてくるのではないでしょうか。

それでは、また。




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