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夢とmisty-water-colorの頃

 滅多に特急列車に乗ることはなかったが、この頃よく乗るようになった。
 それというのも、全国どこもかしこも地下鉄みたいな電車になってしまって景色が楽しめない。小学校6年生の時の日光への修学旅行の時に乗った列車が良くて、その追体験を兼ねていたから、長椅子の電車は論外だし、特急列車によくある座席もやはり違う。
 第一運賃の他に料金を払わなければいけないというのが辛い。
 話は変わるが、設計課題で「美術館」を指定すると、いかに学生が現代美術を見ていないかってことの証明にしかならないと大学の教員がこぼす。
 しかしその教員ですら、美術館の入館料が学生には学割が効いたとしても辛いことがわかっていないし、現代美術が理解できない代物であることをとんと知らないのである…それで教授とかもうね。
 自分より下にいる学生の心を理解できない教育者って何様?
 なのにそれより学習レベルの低い中学生の修学旅行で現代美術を見る…しかも遠足の行き先見たいな近くで?
 ないない、ないでしょぉ。

 さてJR線の特急に乗って嬉しいのは扉口に掲げられている水色の自由席の票である。
 この水色がとてもうれしい。
 ところがJR東日本は特急列車から自由席を廃止し、全て指定席にすると言い出した。
 当然、この水色の票も無くなった。

 しかしJRの特急料金制度はとても素人には判りにくい。かっては近距離の利用を促進する意図があったのか、自由席の場合A料金B料金という区別があった。また繁忙期と閑散期には料金が違ったので、なおさら判りにくかった。
 自由席がなくなった所で、また判りにくくなった。
 指定券の他に未指定券というのがあるのさ。
 指定券の場合、座席が指定されているのでその券を持っていれば指定の座席に座れるのである。しかし未指定券の場合、指定されていないどの座席を座ってもいいが、途中で指定区間になった時に退かなければいけない。畢竟居所が定まらないだけでなく、繁忙期には着席出来ない切符であるが、なお理解できないのは料金の差が指定券と未指定券の間に無いということ。
 もし着席の保障がない未指定券がもし指定券と比べて500円以上安いとかであれば話は別だが、全く同じ料金で未指定券を選ぶ人はいないし、繁忙期にはそれを選ばせるというのも奇妙である。
 繁忙期に座席を用意できないのは鉄道会社の義務放棄でしかないのだが、それに対する補償を未指定券を強制するという形で押し付ける。
 何様ですかぁ、JR東日本?

 どうもこうなってしまった理由のうちには、初めから利用する意図が無いのにも拘らず座席指定を取る人がいて、それへの対処策というのがあるらしい。その利用者の意図としては、運行が珍しい列車の列車名入り指定券を手に入れて保管するという倒錯行為だったり、また切符の取れない列車の切符を取って高く売る、いわゆるダフ屋行為だったりする。
 この事について判らなくはないが、前者については解決策がある。
 指定券が機械による自動発券で審美的に全く魅力が無いので、発見された指定券は引き換え券として簡単なデザインとし、乗車時に車掌から往年の硬券のような風情を感じさせる切符を手渡してさらにそれを手元に残すことができるようにすれば解消される。
 また後者は違法行為であるから刑事罰が課せらる筈である。もしJR東日本がこれらの迷惑行為に対する防衛として未指定券の発行を始めたというのなら、それは私には浅墓なものとしか見受けられない。
 またJR東日本の自由席等割安な料金制度を廃止した意図には、調達にコストのかかる特急用車両の減価償却を急ぐあまり利用者にSUICAのようなデポジットを課したのが本当の所ではないだろうか。利用者の中には私のように車窓の風景を見る事が目的のためリクライニングシートを好まない、昔の急行のような設備を望む人もいるわけだから、そういう人にとっては最近整備された特急車両はオーバースペックにしか感じられないのである。
 また昔の特急列車は定員乗車が常識だった時代は全席指定であった。しかしそれは昭和40年頃より前の発想で、特急列車がまだそれほど走っていない代わりに急行列車や長距離普通列車が走っていた頃で、利用者にはそれらを選択することが出来たが、今はポストモダン以降の時代であるにもかかわらず、多様性は否定されてしまった。そもそもJRは国鉄時代から一貫して満足のいく料金の取れない急行を廃止して特急に一本化したのだからおかしいだろう。今JRがやっていることは復古主義で、まるで独逸民族の優位を主張したナチスとその発想は変わらないのではないだろうか。

おねがい(写真提供:路紡埠洛)


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