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西浦線の終点―江梨という所

 東海バス西浦線は去年の4月から路線短縮されたので江梨が終点になる。
 以前は大瀬崎まで行っていたが殆ど乗客がないらしく、変更後は大瀬に行く人は事前に継走のデマンドバスを事前に予約するか、沼津港から船を利用しないと車がない人には到達が難しい。ちなみにデマンドバス利用の場合、その運賃は沼津駅からの通し運賃となる。
 江梨の方へ行くのは全く久しぶりで、以前に行ったのは小学生の時、大瀬へ海水浴に行ったきりである。バスは江梨行きと木負止まりが交互に出る感じでだいたい1~2時間に1本、また古宇からさなぎ峠を経て戸田へ行くバスが17時50分に1本ある。江梨行きの始発は9時25分で逆に江梨から沼津行きの終発は17時55分だから日帰りの場合はその時間内の行動になる。 
 去年の8月11日、沼津駅前に13時を回って着いた時、江梨まで行ってみようと思った。たまたまバスが待機していたのである。発車時間は45分頃だと思ったけど今年の4月にまたダイヤ改正があったのではっきりしない。バスは静浦から延々と海沿いを走っていき、14時半を回って終点に着いた。ダイヤ改正後は13時25分発が自分の乗ったバスに対応するみたいだが、これは木負から一度河内農協前を経由してまた木負に戻り江梨へ行きその到着時間は自分の時と変わらないようである。運賃が1,200円かかったが天気が曇がちになったので残念だった。
 終点は大瀬崎を含む旧村時代の中心だったが商店らしいものが釣り客向けの店しかなかった。そのため駅前で買い物してからバスに乗った方がよさそうである。それでも海水浴場があってそれなりに人は居たが、漁業は西浦の他の地区と同様それほど盛んであるように見えず、生け簀での養殖が見られる位である。集落の戸数は少なく落ち着いた感じで海蔵寺と航浦院という寺院がまとまった所にあり、その裏はみかん山だ。このみかん山は西浦の東側と比べて柵があって部外者が入れないようになっている。やや保守的な感じがするが所詮みかん山である。ただ小高いところから集落の写真を撮ろうとする自分には残念だ。やや離れたところに神明神社がある。この裏手から東へ向かい「内浦西浦燦々みかん街道」という農道が建設されていた。
 ここがそれの西の起点であった。
 この集落の一番古い記録は明応2年の頃でそれ以前はよく判らないが鈴木氏が大瀬崎から上陸して江梨に入ったが、後に奥州の方へ越してその子孫は今でもそこに土着していると聞く。明応年間は室町時代だからわずかに500年しか経たず、それより昔の記録は残っていないというのが残念だがどうやら明応7年に起きた大地震の時の大津波がその由縁らしい。昼過ぎに来た津波で大勢の人が流されたが、この時村の女が木に引っかかって一命を取り留めたが目玉が飛び出ししまい加持祈祷を行ったらそれが元に納まったという話が伝えられている。
 さておき典型的な浦方集落で平地も狭くみかん山にも上がれないし、海水浴にも釣りをしに来たわけでもない。
 だから内浦へ向かって歩み出すしかなかった。

江梨行きのバス
車庫前の情景
集落の西側、海岸から富士を見る
みかん山への入口
寺裏から集落を見る
海水浴場は人も少なく


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