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北海道のフライフィッシング 桃源郷再び 第2章 『川での失せ物』


第1話

「桃源郷に再び行ける。」
 このときのような高揚した気分は、人生でそうたびたびはないと思います。
 しかし、私の釣りの相方として60歳でフライフィッシングを始めた義父は、もう72歳になっていました。そろそろ二人での釣行は終わりを迎えるかもしれません。この旅を二人で行く最後の釣行と思うと、寂しさで気持ちが曇りがちになりますが、極力考えないようにして、それよりも、今回の釣行でさらなる大物がかかることを考えるよう努めました。

 初日、十勝川支流を目指しました。橋のたもとから下りると、いきなり25cmの虹鱒がかかりました。
「いきなり25センチとは幸先いいぞ。」
と、どんどん釣り上がりました。サイズは殆ど同じでしたが、テンポよく釣れました。

 一昨年までは未経験のサイズだった25センチ級がぽんぽん釣れて気を良くした私達は、桃源郷での釣りに大きく期待を膨らませたのでした。

第2話
 渓流釣りをしている最中に川に物を落として失うということが、たまにあります。
 場所が場所なだけに、落とすと二度と戻ってこない場合が殆どです。
 川の中では、落としたことにすぐ気づいた場合、浮く物であれば事なきを得る場合があるのですが、沈む物であると、あれよあれよと言う間に下流へ流れ去ってしまいます。
 また、落としたことに気づかない場合は、さて使おうかという段になって、
「あれ、どこにいったかな。」ということになります。この場合、当然ながら見つかる可能性はかなり低くなります。

 さて、十勝川支流でポンポンと25cm級が釣れだすと、いちいちメジャーを取り出して測るのが面倒くさくなってきました。
 そこで、ネットの柄に25cmの印を付けておいて、そこをメジャー代わりにして、25cmよりもオーバーかどうかを判断しようと考えました。

 早速、流れに立ったままロッドを小脇に抱え、ナイフでネットの柄の端から25cmのところに印を彫りました。ついでに20cmのところにも印を彫りました。「よし、これでもういちいちメジャーを出さなくてもいいぞ。」
と、釣りを再開しようとしたのですが、脇に挟んでいたはずのロッドがないのです。

第3話
 気づいた途端、慌ててそこらじゅうの水面を見渡しました。
「ない。」
 咄嗟にこれからすべきことや、起こりうる困りごとが思い浮かびました。

「ロッドは流れてしまったであろうから、今から下流域を追いかけて探さなくてはならない。」

「もし、見つからなかったら初日にしてこの釣り旅は終わる。(この時期、ロッドは1本しか持って行っていませんでした。というよりも、1本しか持ってなかったのです。)」

「フライを落とすことはあっても、ロッドみたいな大きな物を落とすとは、俺は一体何をやっているのだ。」

 とにかく流されているロッドに追いつこうと下流へバシャバシャと走って行きました。
 随分と下ったところで、釣りに熱中しているお義父さんに出会いました。

「どう、釣れるかい。」
「それより、竿を失くしたんです。」
「竿を?」
「流れて来ませんでしたか?」
「いやぁ、気付かなかったねぇ。」

第4話
 お義父さんのところまでまだ流れついていないとなると、落とした場所から今立っている場所の間にあるに違いない。
 そう判断すると、踵を返して、来た流れを再び探しつつ遡行しました。視点を川面の左右に移動させつつ探しましたが、水中に沈んでいては見つかるものではありません。
 見つけたいという思いは勿論強いのですが、川に物を流してしまったら、まず見つからないだろうというあきらめの方が気持ちの大半を占めていました。  
 それに、お義父さんは
「気が付かなかったねえ。」
と言っていましたが、釣りに熱中していたら視界は狭く、狙うポイントとフライの軌道しか見ないでしょう。
「お義父さんよりも下流に流れたか。」
という思いに至ったところで、先程ロッドを落とした場所に辿り着きました。
 失くしてしまった可能性がかなり高く、もう見つからないでしょう。
 残りの釣行日数は3日間。ロッドなしでどう過ごそうか。

 思案にくれながら再びお義父さんの待つ場所へ下りました。

第5話
 川を下りながら失くしたロッドのことを思い出していました。
 あのロッドは、2ピースのためコンパクトとは言えず、飛行機での移動には不向きでした。
 しかし、塩ビ管で専用のロッドケースをこしらえて持ち運んでいました。

 購入した店は、今はたたんでしまいましたが、塚口にある「イエロークリーク」というフライフィッシング専門店でした。
 店主は、私の意向をよく聞いてくれ、体格も考慮してオービスの3#7フィート6インチ「tippet」を薦めてくれました。

 この二本目の購入理由は、フライフィッシングに強く傾倒するにつれ、より柔らかいロッドがほしくなったこと。
 そして、お義父さんをフライフィッシングに誘ったために、一本目をお義父さんに使ってもらい、自分用にもう一本必要になったからでした。

 あのロッドは柔らかく、魚とのやり取りを十二分に味わわせてくれる名竿でした。

 明日から桃源郷で大物とやり取りをするには絶対に必要なロッドでした。

 こんな大切な竿を川に落として流してしまうなんて。自分の不注意をつくづく嘆きました。

第6話
 ロッドを失った今、この釣り旅をどう過ごすかお義父さんと相談するのが先決と心を決め、お義父さんの待つ下流へと急ぎました。

 すると、息せき切って上って来るお義父さんの姿が見えました。しきりに何か叫んでいます。

 よく見ると、両方の手に一本ずつロッドが握られています。

 まさか、見つかった?

 水しぶきを跳ね上げながらお義父さんのところへ行くと、
「見つかったよ。」
と愛竿を差し出してくれました。

 うまく言葉が出てきません。

「竿を探しながら水面を見てるとね。竿の先が突き出てたんだよ~。」

「まさか、こんな川の中でよく見つけられましたね。お義父さん、ありがとうございます。すごいことです。すごすぎます。」

  こんなことがあるのでしょうか。二度と私の手に握られることはないと思っていたオービス3#ロッド「tippet」は、今、再び私の手の中にありました。

     第2章『川での失せ物』完


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