明治の先人達の言霊

私が子供の頃は、まだ明治生まれの人がいた。
明治生まれの人って、頑固そうとか口うるさそうっていうそんなイメージしかなかった。

確か中二だったと思う。夏目漱石の「こころ」を読んだ。
子供のためにわかりやすく書いた文体ではなく、旧仮名遣いで書いた本。
また一つ大人へと近づいた感じがし、悦に入っていた。そんな背伸びが、この歳になると我が事ながら実に可愛らしく思える。

どんなふうによかったかは覚えてないけれど、読み終えていい本だったと思った。
その反面、理解しきれなかったことが幾つかあった。
なんで先生はそんなにも孤独だったの。乃木大佐ご夫妻はなぜ殉死なさって、それが明治の体現なのかとか、懸命に考えてみたがわからなかった。
が、今思うとそんな疑問が芽生えたことが、私の中に民族のDNAがインスパイアされた瞬間だったのだと思う。

平成三十年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して150年目だった。
もう明治の人から直接話を聞いたりできる人間は、いない。
でも明治期の文人などの書いたものを読むことで、日本人の記憶は受け継がれてゆく。
明治にかかれたものだけではなく、江戸・安土桃山、さらにその先まで、その時代時代に書かれたものがある。それは連綿と受け継がれた日本人のたましい。
その積み重ねの上に私たちがいて、それは次の世代へと受け継がれていく。

今「こころ」を読み返したら、私はどんな感想を抱くのだろう。
時間の許す時に、頁をめくってみたいもの。

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