ポケカプレイヤーになったワケ①
初心者ポケカプレイヤーのたまです。
改めまして、自己紹介を兼ねてポケカプレイヤーになったワケ、ポケカについて感じることを書いてみようと思います。
平成元年1989年生まれの私は、がっつり初代のポケモン世代✨初代のポケモンは赤ver.を夢中でやっていました。
1996年にポケカが発売された時には小学校低学年で、初代のスターターデッキ1,300円を1個買ってもらって、★マークのキラはミュウツーだったのを今でも覚えています✨ただ、各色のエネルギー×5枚を含めて60枚の構成だった為、これだけではまともに遊ぶことができず、デッキを組むのはもっともっと先でした。
今振り返るとある意味アナログさがまだまだ健在の時代。なにせインターネットがまさにこれから普及し始めるという時代。当時を振り返って今とは少し違うと印象に残っているのは3つ。
まず1つ目はやはりアナログさ。この記事のタイトルを見て、もしかして…と思いながら、ここまで読んでくださった方がいらっしゃったら嬉しいですが、姫野かげまる先生の「ポケモンカードになったワケ」をもじっています笑
ポケモンカードファンクラブなるものもあり、会員になっていました。会報とプロモカードが送られてきました。当時の情報はこうした会報やコロコロコミックなど紙媒体がほとんど。
その後の「トレーナーズ」も購読し、ポケモンカード 拡張パック第4弾「ロケット弾」を経て、ジムシリーズ、ポケモンカードneoの第二世代の最初までどっぷりポケカにハマっていました。
キャンペーンなどの応募や投稿も当然全て郵送。「とりかえっこプリーズ」「通信進化キャンペーン」などのキャンペーンも切手を貼った返信用封筒を同梱して郵送するシステム(懐かしい笑)。
このいい具合のアナログさも今はもうなかなか無いですね笑
2つ目はbox購入に関して。田舎の庶民の子どもだった私にとっては、トレカを1boxごと買うという感覚が無く、お小遣いを握りしめて、数パックを買うのが当たり前でした。今のように1box単位で買って、1boxに1枚のSRの種類で一喜一憂するのとは感覚が異なります。
現在の方法を批判するつもりは全くありませんが、box単位で買うのが当たり前なら、「パック」という概念は何なんだろうって思うことはよくあります。そんなんなら、製造の簡略化やコスト面からもわざわざパック詰めせずに、最初から「ランダム5×30=150枚 うちレアカード◯枚入り」とスタートデッキのように箱詰めして売ればいいのにと思うことはあります。
また、ここでは深く言及することは避けますが、「買えない子どもたちが可哀想」「ポケカは子ども向けの商品なのに」という意見にもだいぶ疑問を持っている立場です。
3つ目はデッキ構築の仕方です。皆様もご存じの通り、初期のポケモンカードはHPも技の威力も低く、全体的に現在に比べてシンプルです。ただ、最初期のデッキ構築は現在のような単色デッキが主流ではなく、2色デッキが主流で、2色のエネルギーをそれぞれ入れる構築が前述のファンクラブなどで紹介されるデッキレシピでもそれが普通でした。炎をメインにしたら、もう1色は弱点である水に強い雷や草を組み合わせるといった具合です。ジムシリーズになって、ジムリーダーのタイプに合わせたコンセプトデッキになっていたので、割と早い段階からデッキ構築に変化はあったものの、最初期の感覚が強かった私にとって、HPや技の威力のインフレ、特性やトレーナーズの多様性よりも根本的にデッキの組み方が違うなと感じたのが、印象的でした。
さて、早速「自己紹介」からはだいぶ脱線してしまいましたが笑、ポケカ遍歴に話を戻すと、ポケモンカード ジムシリーズの構築済デッキの発売でかなりデッキも組みやすくなり、友達どうしの対戦もしやすくなったのが印象的でした。
ただ、子どもの遊びのブームは変化しやすいのが宿命…。遊戯王カードの大ブームに影響を受け、遊戯王カードに乗り換えてしまいました。また、旧裏から現在のデザインの裏面柄への変更に対して、どこか受け入れられない思いが強く、ポケモンカードから離れてしまいます。
初代発売の1996年10月から2000年7月のポケモンカード neo第2弾「遺跡をこえて…」くらいまでの4年弱が私のポケカに接していた時期となります。
そんな私が20数年の時を経て、改めてポケカプレイヤーになったきっかけは②の後編でお話したいと思います。
(②へ続く)
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