「ついでのメシア」第1話

 巨大化した名も知らぬ雑草が蔓を伸ばして揺れている。いや、揺れているんじゃない。雑草が自ら揺らしているのだ。
 二階建ての家に絡みつき、屋根付近に薄緑の花が咲いている。遠くから見ていたらきっと綺麗だった。でも、目の前で見ると巨大すぎたし、めしべやおしべとかがグロテスクだ。だいたい、花はパラボラアンテナの倍以上の大きさがあるうえ、変な粉を撒き散らしている。あれは花粉なのだろうか。見ているだけで鼻がむずむすしてきそうだ。

 少女は幼い弟を背中にかばいながら、じりじりと後ずさりしていた。
 大人の腕ほどの太さをもつ雑草の蔓が目の前をひゅんっと通り過ぎていく。

「おねえちゃん!」

 震える弟が背中にしがみついてくる。大丈夫だよと声をかけたい。でも、恐怖で声が出なかった。

 今、この世界は植物こそが支配者だ。人間なんて蟻のような存在でしかない。
 このままあの巨大な雑草の蔓で自分たちは叩き潰されるのだろうか。

 恐怖に目をつぶりかけたとき、頭上から声がした。

「うわ、このあたりも凶暴化したアレチウリが入って来てんだな」

 呆れたような口調だなと思った瞬間、薄緑の花がたたき落とされた。水分を多く含んでいるせいか、ドサッと重々しい音が響く。続いて少年が上から降ってきて着地する。ちょうど水たまりだったので、泥があちこちに飛び散った。

 現われたのは木刀を肩に担いだ、髪を金色に染め上げた少年だった。少女よりも幾ばくか年上に見える。

「アオ! 泥を飛ばすなって」

 今度は後ろから声がした。
 少女が振り返ると、白いシャツに泥が飛んでいて嫌そうな表情を浮かべた、黒髪の少年がいた。

「あ、あの、あなたたちは?」

 少女がかすれた声で問う。

「通りかかっただけの植物学者です。あいつは俺の護衛ね」

 黒髪の少年が飄々としたようすで答えた。なんでそんなに落ち着いていられるのだ。凶暴化した雑草が暴れているというのに。振り回される蔓に当たったら、吹っ飛ばされる状況なのに。

「ガク、これ仕留めていいのか?」

 金髪の彼が言いながら、木刀で雑草の根本付近を容赦なく叩きつけている。

「いいけど、俺が答える前からもう仕留めにかかってるじゃん」

 黒髪も雑草の根元に近寄っていく。雑草が怒っているのか、黒髪に向けて蔓を打ち付けようとした。

「あぶな――」

 少女の言葉は杞憂だった。
 金髪が一瞬で駆け寄り蔓をこともなげにはねのけたのだ。その間、黒髪は蔓を気にする素振りも見せなかった。きっと、金髪がなんとかすると信じていたのだろう。

「ガク、こいつ意外と茎が硬い。疲れたからあとやって」
「お前さ、自信満々に仕留めるとか言っといて恥ずかしくないのか」
「うっさいな。今日はもう腹ぺこで体力の限界なんだよ」

 金髪がお腹をさすっている。

「はいはい、まったく頼りない護衛だな」
「はぁ? いま助けてやっただろ」
「別に避けようと思えば避けられたし」

 黒髪が肩をすくめた。
 その様子が気にくわなかったのか、金髪の方が眉間にしわを寄せる。

「嘘言うなよ。昨日だってその前だって助けてやったのに」
「昨日のはアオが悪いだろ。休止状態だったのに、起こして怒らせたんじゃん」

 黒髪が噛みつくように言い返している。

 少女は唖然と二人を見つめていた。
 いや、早く暴れている巨大雑草をどうにかしないと、なんで喧嘩はじめちゃったの……と呆れるしかない。

 しかし、少女の余計な心配に終わった。
 結局二人は言い合いをしながらも、暴れる巨大草を沈静化させてしまったのだから。
 金髪の彼が木刀で動きをとめ、黒髪の彼が何か薬品のようなものを掛けたら、あっという間に雑草は萎びてしまったのだ。

 ***

 地球の環境はめまぐるしく変化した。2100年代を過ぎたあたりから植物が巨大化し、一部の植物はまるで意志を持つかのように動くようになった。
 2122年の今、人間達は必死に共存の道を目指している。鍵となるのは守護樹《しゅごじゅ》の種、そして、種を芽吹かせることの出来る一族の存在。

 だけれど、そんな重たい背景など気にもせず、今日も少年達は自分たちの目的のために旅を続ける。なんせ十六歳、まだ大人になりきれていない二人なのだから。難しいことは大人に任せておけばいい。

***

「アオ、さっき助けた姉弟の家でパンもらったから食えよ」
「いいのか?」
「だってお前、腹が減ると動けないじゃん」
「あんがと」

 アオは差し出された菓子パンを受け取って食べ始める。アオは金に染められた髪、光の加減で青みがかって見える瞳、均整の取れた顔立ちと、一見すると儚げな美少年といった風貌だ。だが、実際は神通力で独自強化した木刀を嬉々として振り回す、腕力バカな少年である。服装も無頓着で汚れても目立たない迷彩柄のパンツに、グレーの長袖Tシャツといったラフなものだ。

「アオ、髪にアレチウチの残骸が絡まってるぞ」
「んー? はほへほふ」
「後で取るって? しょうが無いな。ほら食ってる間に取ってやるから」

 なんだかんだとアオの世話を焼くのは、幼馴染であるガクだ。黒髪に理知的で切れ長な黒い瞳、背丈はアオより頭半分ほど高い。服装はかっちり襟付の白いシャツを着て、黒い細身のパンツをはいている。
 アオに言わせれば、どうせ外来種と戦えば汚れるのに、どうして白いシャツなど選ぶのか不思議であった。でも彼は神童と呼ばれ、飛び級で大学まであっという間に卒業した天才である。きっと彼なりのこだわりがあるのだろうとアオは思っている。

 口の中のパンを飲みこんだアオは、ふと口を開く。

「今度の依頼人って、深山っていうんだろ。深山っつったら外国から守護樹を引っ張ってきた奴と同じ名字だな」
「アオ、パンくずが付いてるぞ」

 延ばしたTシャツの袖で口元をぐいっと拭った。

「ん、取れたか?」
「おいおい、服を汚すな、延ばすな」
「いちいちうるせえな。それより依頼人のことだよ」

 ガクは細かすぎるのだ。性格的なものと、多分……アオが本家の人間だというのも世話を焼く理由としてあるのかもしれない。
 本家とか分家とかもう関係ないのに。そんなこと言う奴らはみんないなくなってしまったのだから。

「依頼人の深山は、守護樹の深山とは別人だ。だが、植物学者である俺に依頼をしてくるところをみると、何かしら関係がある人物かもしれない」
「じゃあ、美優のことも……」
「あぁ、姉さんにつながる何らかの手がかりが聞けるかも」

 二人は幼馴染であるが、きっかけは共通の姉だ。
 アオは、とある由緒正しい本家の一人息子として生まれたが、女系相続の習わしのため継ぐことが出来なかった。そのため、本家に養女を迎えることになり、やってきたのが分家であるガクの姉、美優だったのだ。
 そして、美優の存在こそ、二人が旅をする理由だった。

***

 科学は万能ではなく、まだ解明できないことが多すぎた。その最たるものが神通力で育つ守護樹と呼ばれる存在だ。

 地球上には地域ごとに守護樹と呼ばれる木があった。そこに住まう人々は守護樹を敬い、守護樹は信仰の対象とさえなっていたのだ。だが、科学が進歩した時代に迷信だと軽んじられ、ビル建設のために守護樹が伐採された。すると、途端にその地域で植物が異常な繁殖を始めたのだ。

 理屈など分からない。科学がさらに進歩すれば、ちゃんとした原理も解き明かされるのかもしれない。でも、今の段階では守護樹が植物たちの生態系のバランスを取っていた、そう結論づけるしかなかった。

 そして、日本にも守護樹はある。だが、落雷で焼失したため、外国の守護樹を株分けしてもらい植えた。守護樹がなければ植物が異常繁殖するからだ。だが、話はそう上手いこと進まなかった。

 外国産の守護樹を植えてから、日本に古くから根ざしていた植物が駆逐され始めたのだ。今までは守護樹が無ければただ繁殖力が増し、巨大化するだけだったのに。 外国産の守護樹に反応しているのか、はたまた命令でもされているのか、繁殖力が特に強い外来種の草木が、まるで意志を持ったかのように暴れ始めたのだ。反対にもともと根ざしていた植物は新しい守護樹の力のせいか、巨大化も狂暴化もしていない。

 日本政府は迷った。外国産の守護樹を切り倒すべきかと。 しかし、わざわざ頭を下げて某国からもらい受けただけに、不要だと切り捨てるのは外交問題に発展してしまう。それに、守護樹がなければ日本の植物たちも巨大化してしまう。 政府は苦渋の決断で、外国産の守護樹を植え続けることにした。代わりに暴れる外来植物を駆除し、人々が安心して住める居住区を造ることに尽力したのだ。

 ***

 この旅はガクが言いだし、アオがそれに乗った。だが、旅には資金が必要だ。そのためにガクは植物学者としての知識を生かして、植物に関する困りごとを解決して報酬を得ている。アオは腕力を生かして彼の護衛というわけだ。
 さきほどのように、道すがら人助けのようなことをしながら、きままに旅は進んでいる。

 情報端末を操作し、ガクが依頼人の場所を確かめている。それに沿って進みながら、アオは市街地の様子を観察した。

 二階建てや三階建ての一軒家が多く、広い場所には超高層マンションが建っている。巨大植物の気配はない。人々が密集する市街地は、囲むように害緑対策のネットが張られているので、こうして安心して住めるのだ。
 襲われていたあの家は害緑対策ネットに近いため、おそらく隙間から種が飛んできて庭で芽吹いてしまったのだろう。こういうイレギュラーなことも起こるため、市街地の中心部ほど安全だと人気があり、低所得者は害緑対策ネット付近の危険度が高い場所に追いやられているのが現状だ。

 アオは道ばたに咲く花を眺める。美優がいつだったか摘んできた花だった。
 植物は害があるかないかでしか考えてなかったが、美優はそれだけじゃもったいないよと言っていたなと思い出す。

「俺なんかが身代わりになっていいような人じゃないのに」

 アオは花に向かってつぶやく。その声は後悔に満ちていた。

 ***

「これはこれは、想像以上にお若くてびっくりしました」

 今回の依頼人である深山が、開口一番に言った。彼の視線はガクから流れてアオで止まる。ガクよりも背が低いアオは、より幼く見えるのかもしれない。

 ここは深山の自宅だ。仕事場も兼ねているそうで、アオ達は書斎に案内されている。壁一面が本棚でぎっしりと詰まっているのが圧巻だ。情報端末でいくらでも読めるのに、本をこれだけ集めているのは珍しい。きっとデジタル情報として流通していない、希少なものなのだろう。

 ガクは一歩前に出ると自己紹介を始めた。

「奥井学史、同行の彼は護衛兼助手の田中青斗です。仕事と年齢は関係ありませんから、安心してご依頼ください。それで、詳しい内容を伺っても?」

 ガクは年齢のことは言われ慣れているのか、さっさと依頼内容に切り込んでいった。ちなみにガクの名乗った名前は本名だが、アオの田中は偽名である。本名は御子柴青斗だが、対外的には明かさないようにしているのだ。

 深山はガクの淡々とした態度に驚いたように目を開いたが、すぐににこやかな表情を貼り付ける。

「実はですね、人口が増えてきたので、旧市街地の方まで住めるように害緑対策ネットを広げたいんです。ですが、その前にどうにかしないといけない木がありまして」
「なるほど。でも市でも駆除チームがあるはずです。何故、わたしに依頼を?」

 ガクは仕事モードになると『俺』ではなく『わたし』と言うようになる。初めて聞いたときは『らしくない』と笑ってしまったが、聞き慣れれば我慢も出来る。笑うと後で殴られるうえ、食事を減らされるという理由もあるが。ガクが仕事の話をしているときは、とにかく無言を貫くことにしている。

「実は外来種ではないはずなのに凶暴化しているんです。何か理由があるのではないかと思いまして」
「外来種ではないのに凶暴化……種類は?」
「イチョウなんですよ。明日には市の駆除チームが伐採に動きます。ですが、樹齢五百年と伝わっている由緒ある木なので、自分としては出来れば残したい」

 由緒あるイチョウの木か、とアオはつぶやく。
 きっと日本の守護樹が存命だったころは、そのイチョウの木も人々の生活に馴染み、一緒の時を過ごしていたのだろうなと思う。

「分かりました。ですが、最悪は駆除ということになるかもしれません」
「はい、それは覚悟しています。市民の安全には変えられませんから。でも、最後にもう一度、望みを掛けてみたいのですよ」

 深山は寂しげな笑顔を浮かべた。
 もしかしたら、イチョウに深い思い入れがあるのかもしれない。だけど、人間が生きるためには、その気持ちを切り捨てる覚悟もしている。

 大人だなって思った。自分にはそんな選択できそうにない。自分の大切なものと、顔も知らない大勢の人を比べたら、酷いと言われようが自分の大切なものを取る。
 アオはそのために、ガクと旅をしているのだから。
 行方知れずになった自分たちの『姉』の手ががりを求めて。

***

「結局、深山さんは守護樹については何も知らなかったな」

 ガクが残念そうにため息を付いている。
 依頼内容の確認後に、守護樹についてガクがさりげなく話題を振って探り出そうとしていたのだ。だけど、深山は一般的に知られている知識しか持っていなかった。

 ガクは気落ちしているようだが、アオはそうでもなかったりする。だって、守護樹ってすごい存在なのだから、簡単に新たな情報などつかめるはずがないと思っているのだ。まぁ口には出さないけれど。
 それを言ってしまうと、ガクが拗ねてしまい面倒くさいのだ。なまじ頭がいいだけに、行動に対して結果が伴わないとイライラするんだと思う。アオとしては、続けて行くこと、諦めないことが重要だって言いたい。だって、美優がそう言っていたから。

 害緑対策ネットの外に出て、二人は目的地である樹齢五百年のイチョウを目指して歩いていた。また太陽が高い位置にあるので、汗がにじみ出てくる。
 アオはいつアレチウリのような外来種の攻撃が来てもいいように、木刀を握ったままあたりを見渡す。

「いやに静かだな。虫の音さえも聞こえない」

 ガクがつぶやく。
 確かに、と思った瞬間、アオは足を止めた。

 ――ささやくような音? まるで葉をこすって会話でもしているような。

「ガク、あっちの道を行こう。近道な気がする」

 数メートル先には砂利の脇道が見えていた。
 目的地にはこの二車線のアスファルトで舗装された幹線道路を辿ればつくが、方向的にかなり回り道である。

「はぁ? 嫌だよ。アオの直感って当たり外れが激しいじゃん」

 ガクはあからさまに眉間にしわを寄せるが、知ったことではない。こっちの方に何かいいことがある気がするのだ。呼ばれているような、なんて表現すればいいのか分からないけれど。

 アオにはこういう『何となく』という直感が降ってくるときがある。ガク曰く『アオにはかつての守護樹の加護が残ってるんじゃないか』だそうだ。そんな大層なものではないと思うが。

「直感に当たりも外れもないだろ。直感があるときは必ず何かそう知らしめるだけのものがあるんだから」
「そうだけどさ。昨日はその直感のせいで酷い目にあったの忘れたのか?」

 実は昨日も何かあると直感が働いて、何に対してなのか理由を探していたらクサノオウが自生していたのだ。でもこの草は毒を持っているうえ、見た目がヨモギに似ているため、気にせず手で払ったらちぎれた葉から汁が付いてかぶれたのだ。毒素が強まっていたようで、触れた瞬間から赤くかぶれ痒み出した。それに大騒ぎしていたら、休止していたアレチウリが起きてしまい、退治するのに死ぬほど苦労したのだ。

「確かに酷い目にあったけど、あれは毒草のクサノオウがあるって教えてくれてたんだと思うんだ」
「だからだよ! 危険を知らせるパターンだったら、この道を行ったら昨日より大変かもしれない」

 ガクが砂利道を指し、絶対に行かないと首を振る。

「大丈夫。昨日は危険を知らせるパターンだったんだから、今日はきっと良いパターンの番だ。それに俺の直感も、何か良いことありそうな感じだし」
「本当かよ。なんで自信満々で言い切れるわけ?」
「それも直感だな!」

 堂々と言い切れば、ガクは負けたとばかりに肩を落とした。

「くっ……分かった。まぁ、幹線道路が回り道なのは確かだしな」
「よし。じゃあ、砂利道を進むに決定だな」

 満足げにアオは頷いたのだった。

***

「アオの馬鹿野郎! 何か今日は良いパターンだ、最悪のパターンの間違いだろ!!」
「うっせ、今話しかけんな。集中が切れたら終わる。黙ってろ!」

 アオは必死に木刀で襲い来る雑草をたたき伏せていた。ガクも携帯型の警棒を延ばし、アオと背中合わせの状態で奮闘している。

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