手を離す、再生する
もう十分に忘れたはずで
もう十分に失うことを諦めたはずで。
でもまだわたしの手は、何かを握りしめている。
わかっている。それがわたしの性格だから。
執着している。自分の中に残そうとしている。
善きものを美しいものを、大切なものを。
でも駄目だ。
握りしめた手のひらを開かなくては。
それがどんなに苦痛を伴うとしても。
手のひらから離れていく最後の記憶に
心がぼろぼろになったとしても。
握りしめていたものが本当に大切ならば
それをわたしがしなくてはならない。
そうしなければ、真の復活はないからだ。
全ての記憶を消去しなければ
赤ん坊には戻れない。
赤ん坊でなければ、生き直すことは出来ない。
組織は変わらないかもしれない。
もう無理なのかもしれない。
それならば、わたしが変わろう。
そうまでして、真剣勝負をやろう。
ジャイアント馬場は言った。
「無理をしたり、作り事をやったら
それはそれだけの世界なんだ」と。
作り事はやれない。
でも負けることも出来ない。
だからわたしはわたしを創り直す。
一番失いたくないものを、失うのだ。
きっとそれがガソリンになる。
火の鳥のように
わたしたちは、どんな手を使っても
不死身になってみせる。
心から血が流れても
人には決して後ろに下がることができない時がある。
それは今だ。
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