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藍いろの愛

何も書けない。
たまにそんな日がある。
何も歌えない。
踊る気にも、絵を描く気にもならない。

つくるということが、いかにデリケートなのかわかる。
人は食べ物を食べて、体を動かす。
では何を食べたら、創造することが出来るか。

愛。しかも、誰かからもらった愛だ。

無償の愛でも創作は出来るという
素晴らしい芸術家が世の中にはいる。
 
でもわたしは駄目だった。
自分から出てくるものでつくっても
ちっとも面白くならないのだ。

誰かがわたしをつついたり
転がしたり
話しかけたり
一緒に泣いたり
笑いが止まらなくなったり……
それが作品になる。

それがないと、つくれないのだ。

わたしは自分で自分を
つつきまわすほど
今は元気じゃない。
だから、お休み。

そのうち、誰かがちょっかいを出してくれるかもしれないし
別の方法があらわれるかもしれない。

ある一定の時間つくらないでいると
神様からメッセージがくる。
いつもそうだ。

反抗してつくらなかったり
もう生きるのを辞めようとしていたり
手酷い失恋から全く立ち直れなかったり
いろんな「つくらない」時があった。

芝居を辞めたときも
もうこれでわたしは
「つくるひと」ではなくなったんだと思った。
肩から鉛のような重りが消えた瞬間
でもわたしは一体誰だろうと思った瞬間。

なんのことはない。
結局わたしは今も「つくっている」
言い訳も時間稼ぎも休憩も
なんにもならない。
人は所詮自らの宿命からは逃れられない。

もう少し休んだら、腹をくくろう。
わたしたちはどうせ
「つくる」しかないのだ。

どうせ、でいい。
とりあえず、でいい。
どんなにレベルが低くても
人に駄目になったと言われても

わたしはわたしの宿命のために
つくる。
つくることを守るために
つくる。
同じように、つくり続ける人のために
つくる。

生み出して生み出して
いつか海にいたるのだ。
藍いろの創造物のかたまり。

それは愛か執念か。
それはきっと同じものだ。

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