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小説 "向日葵の行方"



君の笑った顔が好き


2021年2月10日

朝の9時になると僕の1日が始まる。
昨夜の出来事を夜勤者から報告してもらい、その日の昼にくる出勤者の各業者で1日の流れや利用者に対して気をつける事、それに加えて施設に見学しにくる家族がいつくるかなど様々な情報を30分で共有するのだ。僕がこの[有料老人ホーム
チェリッシュ神奈川]に働いて3年が経ち日勤業務も卒なくこなせるようになってからは、当たり前であり大切な時間となっている。この施設には
早番、日勤、遅番、夜勤で回っており僕は、正社員が主にやる日勤と夜勤がほとんどでそれ以外の出勤は、月に3回から4回程度の頻度だった。
それに希望があれば、それ以外の時間で働く事もできる為、主婦層など所謂"子育て世代"にとっては、かなりと言っていいほど融通が効く施設でもあった。

夜勤者が手元の資料をみながら口を開いた。
「1階ですね。一階の櫻井様、昨日の夕方から間接痛の訴えあったのですが、Dr.コール行い、カロナール300mg1錠飲んでからは良眠されてました。
それと三崎様ですね、20時バイタルが133/92
Puls68 KTが6.3 SPo2が98%となっています。
深夜の徘徊あり、多動で誘導の声掛けを行うもなかなか部屋に戻らず、不眠でした。」

一階の方はわりかし自立で基本動作のほとんどを自分できる人たちが固まっていた。と言うのも一階には職員が常駐しておらず、ナースコールがあっても咄嗟にいけないし介護度の重い人を入れてしまうと同フロアにある事務所から人を割いてしまうことになる。それだと電話番や、受付などが手薄になってはしまうからだ。
すると夜勤者は僕の方を真剣な眼差しで見つめて続けた。
「2階の方ですね、夜間に石田様が転倒されております。詳細は別途の報告書見てください。
外傷はないです。それと木村様ですね、ご自身の部屋が分からない様子で、他入居者様のお部屋に度々入ってしまう行動見受けられました。
あとは堀田さんですね、物取られ妄想の症状あり、お金を盗まれたと話しております。傾聴対応お願いします。あとは、、、」そう話す先輩のつらつらと長い話を僕はいつもより上の空で聞いて過ごしていた。すると看護師やケアマネの報告の順番を周り施設長の番がきた、これが上の空で聞いていた理由である。施設長の横には、見慣れない女性が立っていた。艶やかで綺麗な長い黒髪は後ろでひとつ結びに括ってあり、目は狐の様にキレ長くそして大きい。そしてその肌は白く、腕と脚がちょうど良く長い華奢な体つきをした女性は世間で言うところの「美人」に値する人間で目や意識を奪われていたのだった。すると全体を見回し一呼吸置いて話はじめた。
「今日は施設内見学が2件入ってますので、家族さん見かけたら挨拶お願いします。それと今日から入職されます『川村 美結(かわむら みゆ)』さんです。自己紹介お願いします。」
その後に続いて話し始めた。
「今日からお世話になります。川村です。前は特養で働いていていました。22歳からこの業界にきて介護歴は6年ほどになります。
なにかと行き届かぬところがあるかと思いますが何卒よろしくお願いします。」そう甲高く透き通った声で丁寧に話すとゆっくり、そして深々と頭をさげた。それに施設長が続けて「若い子がきてくれるのは本当ありがたいね、みんなよろしくね。今日は瀬川くんにOJTしてもらうから1日お願いします」そう話すと僕の大事な時間は上の空のまま幕を閉じた。僕は慌てて屯用の薬や栄養ドリンクを抱えて事務所を出た。すると彼女も後ろから付いてきて再度僕に対し丁寧に挨拶するので足を止めてお互いに自己紹介を軽く行った。

「川村 美結です。よろしくお願いします。」

「瀬川です。よろしくお願いします。今日1日はとりあえず横で見てもらってて大丈夫ですのでメモ取ったり、分からないところがあれば都度聞いてもらえればなと思います。口下手なので説明下手かもしれないんですけど、こちらこそ何卒よろしくお願いします。」

僕は教えるとかそう言った類の仕事が苦手だ。そもそも人見知りで、ましてやそれが女性とくれば何故か更に緊張をしてしまう。
「ありがとうございます。物覚えが悪い方なのですごく、たすかります。」

川村さんは、そう焦る様な顔をして
今度は浅く頭をお互いにさげた。
そして川村さんを一緒に連れてエレベーターに乗り2階のステーションに行き一日の流れを共有した。

「まずは排泄介助を行いながらそこの広場まで起きていただきます。」

そう言うと昨日転倒した石田さんの部屋に向かった。すると

「宗介くんじゃないの!貴方夕方までいるの?ほら!飴ちゃん持っていきなさい!」

昨日の転倒が嘘の様に元気でいつもと変わりなかった。飴ちゃんは丁重にお断りし、排泄介助を行う前に彼女を紹介した。

「こちら今日から入職されます。川村さんです。よろしくお願いします。
今日は僕と一緒にお仕事するので度々お邪魔するかと思いますがよろしくお願いします」

と話すと新人には厳しい石田さんが思いのほか好感触に話した。

「なんて綺麗な子なの!貴方独身?宗介くんはどう!?まだ23だから種はいっぱいよ。」

といきなりど下ネタを入れて話してきた。僕はちょっと!と言うふうに軽く呆れながら川村さんに謝罪をすると川村さんはそんな僕を少し見ては細い目をして笑って、石田さんに対し

「そうなんですね!こんなしっかりしてるから瀬川さん年上かと思ってました。私、川村と申します。何卒よろしくお願いしますね」

終始笑顔で話して"種"の話は華麗にスルーすると何となく川村さんの介護力がある事がわかった。石田さんも調子良く二言三言はなし、難なくその場は治った。僕はステーションに戻るや否やすぐに謝罪した。すると川村さんは

「瀬川さんって下のお名前宗介さんっておっしゃるんですね!とてもいい名前です。それに、23歳だとは思えないくらいしっかりされてて驚きです。」

と話した。初めてこのありきたりな名前を褒めてもらって悪い気はしなかった。すると
すぐに川村さんは「よろしくお願いします」と話し僕は川村さんを連れて排泄介助に回った。
川村さんは僕の動きを一つ一つ凝視しながら横についていた。はっきり言って歴も歳も上の"後輩"に教えるのはなかなかの緊張があり、どちらかと言うと教えてると言うよりはテストの様に見られている感覚に近かった。
ある程度、排泄と離床介助が終わると次は資料の作成方法や日誌などの書き方、後は備品の場所、食事の提供や薬の渡し方飲ませ方などもろもろを教えた。
するとお昼になって川村さんが口を開く。
「良かったらお昼ご一緒してもいいですか?」
なかなか積極的な女性だった。その言葉に驚き何というかある種の勘違いに陥りそうだった。
僕は快諾してお昼ともにする約束をした。
すると川村さんは休憩室で自前の弁当を広げた。
量も少なく女性の弁当だと一目でわかった。

「これ、ご自分で作られたんですか?」

何となく聞いてみると、川村さんは「そうなんです、料理は割と得意で」と話した。僕はそれに対して簡単な返事をして、タバコを吸いに近くの公園まで向かったのだ。いつもタバコ吸う為にくる公園はやはり僕だけの時間だった。
さっきまでの緊張から解放されて深くタバコ吸う。「あー川村さん、めっちゃ真面目だよな〜」とボソボソと独り言を話していつもより軽い足取りで施設へ戻った。
僕はいつものコンビニ弁当を川村さんの近くで広げて食べ進めた。川村さんは予定表の確認をしながら僕に幾つかの質問をした。お互いのパーソナルスペースを詮索していたのかプライベートの話はあまりしなかった。それも、その時の川村さんはすごく真面目でその綺麗な横顔は僕に無駄な詮索をする余地を与えないほど綺麗だったのだ。
するとあっという間に休憩時間が終わり僕は現場にもどろうと思い腰をあげ扉を開けると
僕の後ろにいる川村さんが僕の肩を軽く叩いた。僕は振り返ると、、、


               続く。

Puls   ="プルス" 心拍数

KT     ="ケーティー" 熱

SPo2 ="エスピーオーツー" 血中酸素濃度


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