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たまには日記(回顧録①)

大学生の時の話なのだけど

小学校から高校まで野球を続けていて、高校の時チームがそこそこの成績を残せたので大学をスポーツAO?(正式な名前は忘れたが確かそんなやつ)で入学して大学でも野球を続けていた。

当時は友達と遊ぶことはなく恋愛などもからっきしでとにかく野球に打ち込んでいた。
プロ野球選手になりたい!というのは自分のレベルじゃおこがましいと思って口にはしてなかったが高校時代スタメンで主力で戦い地区で強豪校といわれる高校に勝利をしたこともあり心の隅っこではなれたら良いな、なんて気持ちがあったかもしれない。

しかし、高校と大学のレベルの違いに面を食らったことはいまでもハッキリ覚えてる。
もちろん高校も甲子園に出るような強豪校であれば相当な練習をしていると思うが僕の高校は公立高校で練習も選手のレベルも決して高いと言えるほどではなかった。

そこから大学はリーグでは一部に食い込んでいくようなチームで監督も元プロ野球選手。先輩は甲子園にも出場していたような人もいて練習の質も選手のレベルも高校時代とは比べものにならない高いものだった。

少し余談だが、当時体罰というものがまだ今ほど厳しく言われてない時代だったので中々な「可愛がり」を受けた記憶がある。笑

幸い先輩はみんな優しくそのようなことはなかったが監督が昭和の匂いプンプンなお方で色々な指導をして頂いた。
現代では絶対アウトなことが色々あったが今振り返ると忍耐というものは大分鍛えられたと思う。笑
もちろん容認するわけでも許すわけでもないのだがあくまで個人的な意見として、手を出すのは無論行けないことだが叱咤激励に関しては度があるにしてもまだ子供だった自分にとっては背筋を伸ばす刺激だったので必要悪なのかなと感じていた。
ま、自分の子供がされていたら許すわけもないのだが笑

話が横道にだいぶ逸れてしまったが、高校時代よりもはるかにレベルの高い大学野球だった。そんな中でも必死に喰らいつき一年生の秋に行われる新人戦に出場することができた。
満足のいく結果は出せなかったが試合に出れたことが自信につながり
「来年が勝負だ」
と思わせてくれた。
自分の中で2年生の1年間でレギュラーを掴めるかどうかで大きく別れ目になると思いシーズンオフは走り込みから守備・打撃練習など自主的に行い次のシーズンに向けて意気を込んでいた。

そして時が明けシーズン開幕直前に春季キャンプがあり一大アピールの場として照準を合わせている時のことだった。

〜〜長くなってしまったので二部に続きます🙇
こんな拙い文章を長々読まれている方がいらっしゃったら申し訳ありません。。
明日も見てください🙇



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